10月研修旅行「大連の火葬場・葬儀場・墓地」視察報告

2010129

須永真紀

はじめに

日本において、大連や旅順は、日露戦争に関連した地域として知られている。その一方で、大連の葬儀などの人生儀礼ついては、ほとんど知られていない。よって、今回の研修旅行では、火葬場、葬儀場、墓地の施設の見学を通して、中国及び大連の葬儀について学ぶことを目的とした。

 

1.中国の葬儀

・葬儀の政策 民政部一零研究所 朱勇・李伯森編「中国殯葬事業発展報告2010年」(社会科学文研出版社)

殯葬革命:葬送事業を国の重要事業に位置づけ、実践していく

 1949年~1979年:文化革命のあと、毛沢東が、国会事業の一環に葬送事業を位置づける

革命に貢献した人たちを葬る「烈士霊園」を作る(例)北京の八宝山公墓 

          結果:墓地の巨大化(ソ連風)→火葬を導入・葬儀の簡素化を図る

                    ⇒火葬場が殯葬サービスの重要な場所になる

1979年~1985年:殯葬革命の停滞 →極左路線の産物とみなされる

         土葬と旧習俗の復活

           ⇒ 殯葬管理の強化が民政部によって、決定→葬儀の簡素化と火葬の実施

 1985年~現 在:殯葬の法体系の整備と殯葬革命の推進

          1985年「殯葬管理の暫定規定」:人口に基づいて火葬地区を決定。土葬墓の改造

          1990年「殯葬館等級標準評定法・施行」:殯葬館の規模、立地、サービスなどを

                             基準に等級づける

          1997年「殯葬管理条例」:殯葬施設管理、遺体処理、罰則などの6章により構成

                      法を体系化して実践する

 

・中国の葬送関連施設 (表1、2)

殯葬館:葬儀場、火葬場、納骨堂がひとつの敷地の中にある施設(2008年現在 1,692箇所)

    立地場所は、日常生活圏内

納骨堂・墓地:市が運営しているものの「有限公司」方式を採用

       墓石の形ごとに区画整理が行われている(墓地)

       中国では、撒海(川や湖)など遺骨の埋葬場所の多様化が進む

       20092月から7月:民政部による墓地の整理整頓や違法建設の取締まり

全国の公共墓地1403カ所を摘発(20099月の段階)

問題点:葬儀料金の高額化

    高い葬儀費用と低い葬儀サービス

    少子高齢化の加速化→墓や納骨堂の継承の問題

 

・一般的な葬儀の流れ(都市部)

医師による死亡宣告→殯葬館に連絡をして搬送→所定の手続きのあと遺体を安置→殯葬館の担当者と葬儀形式、時間などを決定→自宅などで通夜→殯葬館にて告別式→火葬→翌日か当日に納骨

*通夜は、自宅で、紙銭を焼くなどの行為を行い、故人を偲ぶ。

3年間、納骨堂を利用→その間、墓地を用意して移動させるケースが多い

 *告別式や火葬には、僧侶などの宗教者が立ち会うことは少ない。職員が司会進行をする傾向

 *平服での参列が一般的。香典は奇数の金額で、101元が一般的

 

 

 

2.大連と旅順の葬儀施設について

・納骨堂と火葬場

立地:大連の市内から車で20分程度の道路沿い(=紅凌路)に葬儀に関連する施設

(葬儀用品店や火葬場、納骨堂)が集中。

山の斜面を切り開いた場所に立地 → 宅地化の傾向

 

・大連金宝山陵园有限公司(納骨堂)(写真1~4)

   現在、外側の舗装など工事中の部分もあるものの、納骨堂は、使用を開始

   価格が安いのは、1階、3階、2

   棚の高さが上にいくほど、使用料金が高い(使用料金は、20年の管理料込み)

 

 ・大連市殯葬館(火葬場)(写真5~11)

  1997年ごろに現在の場所に作られる→大連には、2箇所の火葬場がある

 都市部に近いため、利用率が高い(もう1つは、郊外に設置)

 火葬炉は、台車式12基 朝の6時から稼動

 *火葬炉の技術は、日本の火葬炉のものを大連で模倣したものを使用

 一人の火葬時間は、約1時間半→その後、職員の手によって納骨が行われる

*火葬炉に遺体が入ることと、焼き上がり状態を遺族は、炉前に設置された部屋から見られる

→日本の火葬場と似たような光景

 

・大連玉皇頂公墓(墓地)(写真12~16)

  200410月に供用開始

  立地は、旅順の市内から、20分~30分離れた山間部に位置

  面積:2.5万平米、お墓は、2.5万盔(現在、分譲中)

  *墓地であるにもかかわらず公園風な景観 

  *墓石のデザインや種類によって、区画整理がなされ販売されている

  *紙銭を焼くことは禁止されているため、入り口で焼く施設が設置

 

おわりに

 大連の葬儀関連施設は、政府が推奨しているものと、ほぼ一致する。ただし、火葬場については、日本式の要素が垣間見られる。拾骨や炉前で確認するといった行為が、都市部でやっと見られてくるようにった。だが、大連では、日本占領下に作られた火葬場が近年まで使用されていたため、炉前で見守るなどの行為が他の地域より以前から浸透していたのではないか。

 今後、中国の人口問題及び社会問題など背景から、日本を含めて、アジアの葬儀がどのように変化していくのか注目していきたい。

以 上

【主要参考資料】

 八木澤莊一「中国・重慶市の葬儀施設について」(火葬研究会『火葬研究 06号』2003年1月)

 八木澤莊一 石井良次 長江要子「中国上海市の葬儀施設」

                    (火葬研究会『火葬研究 08号』2005年1月)

 八木澤莊一「中華人民共和国における殯葬事業の経過と現状について

-中国殯葬事業発展報告の発行と中国との交流を契機に-」

(火葬研究会『火葬研究 14号』2010年10月)

日経ビジネス 北村豊の「中国・キタムラレポート」

              http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20100407/213880/

 

 

 

表1、2ともに「中国殯葬事業発展報告2010年」より作成

 

 

 

資料1 大連玉皇頂公墓のパンフレットより

1.地図

 

2.全景

 

 

 

写真1 納骨堂の入り口部分

 

写真2 納骨堂

 

写真3 納骨堂の料金表

 

写真4 納骨堂の利用規則

 

写真5 葬具の露天商

 

写真6 火葬場入り口

 

写真7 火葬棟 炉前

 

写真8 火葬棟 待合室

 

写真9 葬儀場正面

 

写真10 葬儀場 内部

 

写真11 葬儀にかかる料金表

 

写真12 墓地 焼紙を焼く場所(入り口)

 

写真13 墓地 焼紙を焼く場所

 

写真14 墓地

 

写真15 墓 (離婚した人のものと推測

 

写真16 墓地の入り口付近