日本葬送文化学会

[ご案内]

1月定例会
宗教儀礼として見た葬送について語ります
講師プロフィール
龍谷大学文学部仏教学科真宗学専攻卒
大阪外語大学外国語学部ドイツ語学科卒
大阪大学大学院人間科学研究科修士(社会学)

現在 大阪大学大学院文学研究科文化形態論 後期博士課程在学
   本願寺教学伝道研究センター 仏教音楽・儀礼研究所研究員

日  時: 2009/01/23 18:30〜
場  所: 東京文化会館4階中会議室(上野駅前)
講  師: 浄土真宗本願寺派 教学伝道研究センター 仏教音楽・儀礼研究所研究員 多村至恩氏
議  題: 宗教儀礼としての葬送--儀礼の文化の相関より
出席者数: 23名+講師

講義内容

  • 儀礼のイメージ
  • 先行研究の概要
  • 儀礼の一般的理解
    • 儀礼と儀式の混在
      • 「呪術的」な行為(イニシエーション)
      • 翻訳の問題
      • 宗教界の反応
    • 宗教儀礼の定義付け
    • 信念と教義の差異
    • 儀礼と儀式の分別
  • 儀礼の機能
    • マッチング機能
    • カタルシス機能
    • 役割演技機能
  • 宗教儀礼に内在する社会性
  • 宗教儀礼としての葬送の役割
    • 殯(もがり)
    • 葬送儀礼の簡素化と心の貧しさ

多村至恩様のレジュメより(抜粋)
0. 儀礼のイメージ
言語が持つ負のイメージ=形式的な→心が篭っていない・儀礼主義
儀礼(ritual)・儀式(ceremony)・祝祭(festival)の混在
19世紀以降、欧米で先行した儀礼研究は日本仏教には充当しない

1. 先行研究の概要

(1) 進化論(J.G. フレーザー、E.B. タイラー)
=文化・宗教を生物の進化に擬えて捉える考え方。ダーウィンの『種の起源』(1859) 以前より、20世紀初頭まで、社会学の中心的存在であったが、適者存在と言う社会ダーウィン主義が強調され、人種闘争理論がナチズムに利用されたことで信用を失う。現在、継承理論は存在しない。

(2) 機能分析(E.デュルケーム、B.マリノフキー、ラドクリフ・ブラウン、R.K. マートン)
ア)社会学的機能主義=社会現象を構成する諸要素の相互関係に着目
イ)人類学的機能主義=あらゆる現象を動的に捉え、生成・消滅の過程として捉える

(3) 象徴論(レヴィ・ストロース、V. ターナー、V. ヘネップ、M. エリアーデ)
=機能主義に対抗する形で成立し、象徴が意味するところを理解し、解釈する立場を取る。
ア)現象学的視点=意味の主観的世界の理解、後に生活史研究に発展
イ)構造主義的視点=意味の倶圧巻的構造の分析
2. 儀礼の一般理解
例)ビジネス・スクールのリチュアルコーディネーター学科
「七五三や還暦などの人生の節目における祝い事や、お盆やお彼岸などの季節ごとの法要、建物の竣工や会社の記念行事など、リチュアル」は、日常的になじみが薄くとも社会においては欠かせないものです。リチュアル(儀礼・式典)コーディネーターは、様々な儀式に関する専門的な知識を有し、立案からデザイン、施行・進行に至るまでを担います。」

本来、儀礼を意味するリチュアルを「儀式であり、その中身は通過儀礼である」と紹介しており、儀礼と儀式が混在して使用されている。
例)法式・式務部・・・法要儀式を司る

2.1. 儀礼と儀式混在

(1)「呪術的」な行為=イニシエーション
・イニシエーション執行者である聖職者と王権が融合→神的王権、即ち教祖論へ
・ヘネップ=通過儀礼とイニシエーションの明確な区別
・エリアーデ=広義の意味でのイニシエーョン(成人式・加入儀式・秘儀伝授)
日本では、<霊=呪術系>の教団研究において、エリアーデ理論が頻繁に引用される。

(2) 解釈の問題

*社会学者であるウェーバーによって、「宗教」と「呪術」の明確な分離の必要性が説かれたにも拘らず、人類学分野では、欧米のアニミズム論を継承する形で、通過儀礼から派生し、死者儀礼、イニシエーション、シャーマン・教祖研究が中心に発展してきた。観察を主流とする研究手法から、儀式を通じて感得する儀礼の中身ではなく、行為そのもの(儀式)に力点が置かれるようになり、形式に重用な意味があるというように曲解されていく。
従って現在、儀礼が持つ形式的なイメージは、儀礼の形式性や、通過儀礼に含まれる一過性・習俗性に焦点が絞られ、理解されていることに起因すると換言できよう。

(3) 宗教界の反応;取り分け、教義的にイニシエーション形態をとらない浄土系教団は通過儀礼の概念を背景とする「儀礼」に消極的態度を取るなど、各々の教義的背景によって見解がわかれる。

2.2. 宗教儀礼の定義付け

・宗教三大要素(E. デュルケム)=信念・儀礼・道徳的共同体(一般的に教団組織と理解)
聖なるもの感得→身体的反応(手を合わせる・礼をする・感嘆の声が漏れる等)
→ a) 信念や信行と呼ばれるものを表明する→言語統制=教義
→ b) 単なる身体的反応から、畏敬の念を表出する行為へと昇華=儀礼
→ c) 同じ儀礼を行う集団→組織化=教団

・宗教儀礼とは=宗教を定義付ける基準は、聖俗の明確な分離にある。タブー(聖なるもの・尊いもの)とタブー以外のものに対する絶対的格差や、タブーに関する「信念」は、それらに対する行為によって明確化し、このタブーとしれ以外の分離を行う一連の行動様式を「儀礼」と言う。
また、儀礼は集合した集団の中で発生することから、集団のある心的状態(信念)を刺激し、維持し、もしくは更新する機能を担う。

*宗教とは、「集合的存在を表明する集合現象」であることを踏まえると、集団化した共同体を宗教集団とみなすものは、「ある信念に基づいた、共通の儀礼を行う集団」となる。
また集合した集団の中で発生し、人や集団組織を活性化させる儀礼は、信念を現実化させる重要なファクターであり、「儀礼のない宗教は存在しない」というのが社会学・宗教学・人類学の共通理解である。

2.3. 信念と教義の差異

(1) 教義=信念が教理として体系的に言語化・・・「宗教性」(religiosity)
(2) ある信念に基づいた、共通の儀礼を行う集団=宗派宗教を超えた「霊性」(spirituality)

*既成宗教集団が提示し続けてきた「宗教性」(religiosity)とは、信念が体系的に構築された“教義”を中心に、儀礼と連携し、集団組織に凝集するものであり、宗派宗教を超えた「霊性」(spirituality)の特殊(specific)な状態⇔葬送儀礼(殯)

2.4. 儀礼と儀式の分離

儀礼とは、聖なるもの(尊いもの)に関する観念的把握を、一定の行動様式をもって外的に表出したもので、聖なるもの(尊いもの)への随順を実現する手段であり、あくまで「信念や信心の発露」として位置付けられる。
儀式とは、儀礼の中の呪術的・神秘的・慣例的な行為様式を指す。この意味に於いて、儀式は儀礼の下位概念である。一般的に「儀礼的な〜」という言葉に付随する負のイメージは、信念の表出形態の分析によって派生したものにすぎない。しかし、現実の組織化された宗教現場では、儀礼的側面と儀式的側面が重合して存在するため、儀礼と儀式との分別は難しい。
3. 儀礼の機能

対個人:「感情的変容の契機」(信念・信心の深化)
対集団:「コミュニオンの再構築」(集団性の強化・維持)

          ↓↓↓↓↓ (重合反復関係)

         (1) マッチング機能
         (2) カタルシス機能
         (3) 役割演技機能

3.1 マッチング機能
・人は他者の内面性を外的表出手段で判断
=承認基準は、集団による表現やコミュニケーション形態が同様であるか否か
・社会的側面からみると、共通の儀礼行為(社会一般で行われる相互行為も含まれる)を行う者は、共同体の構成員として承認され易い。
・定期的に行われる儀礼によって、共同体は統合度を深め、より強固な集合意識のもと、その集団の凝集力を増大させ、共同体あるいは自身を活性化→(自己統合と自己認識の再構築の場)させる。

*集団が定期的に自己を再確認する手段であり、人の内面性・完成に直接訴えかけるもの

3.2 カタルシス機能

・人は自己概念に一致する情報に基づいて、自己確認を行う
他者からのフィードバック:自己確認度(高)→ 完全一致 => 行為の続行
             自己確認度(中)→ 修正を加える => 確認作業
             自今確認度(低)→ 変更する

          ↓↓↓↓↓
積極性の上昇・リラクゼーション・気分の高揚・安心感

*当該社会と自己概念の一致によって、不安が除去される(セルフエスティームの充足)

3.3 役割演技機能

・儀礼を通じて自己の「変容」を行う => 規範の内面化を促進する
 例)世俗的自己→儀礼→僧侶

・表層演技(演劇など)と儀礼的演技の差異
表層演技によって喚起された表情は、非常に即効性はあるが、永続性に欠け、深みが無く、また行為が持つメタファーよりも外見が着目されやすい。しかしながら、儀礼的演技には、行為の課程に内面統合、即ち、規範の完全な内面化を遂げる契機が包含され、儀礼を終えた後もその効果が永続的にみられることから「変容」として捉え、単なる形式だけに留まる表層演技とは区別される。
4. 宗教儀礼に内在する社会性

宗教儀礼が、単なる一教団を維持するためのものであるならば、宗派や宗教を超えて存在する通過儀礼や習俗は存在しないであろう。しかしながら、現実の宗教現場は、教団の宗教儀礼を維持する方が難しく多くの場合は、地域性を反映した習俗と教団儀礼と均衡の上に成立している。

(1) コミュニティ形成力・・・集団の凝集性
(2) 文化力・・・伝統として継承され得る、宗教的境界を希薄にする

          ↓↓↓↓↓
儀礼は、人々を凝集するだけでなく、信念に基づいた道徳的規範を提示し、各個人に内在化させる効果を潜在的に発動する。この機能は、コミュニティの社会密度に比例して顕在化するものであり、社会密度の濃い集団においては、安全性が高まる。

通過儀礼を行う集団と個人の関係は、相互受容として機能する。集団は共通の儀礼を行うものを、同じ信念のもとに連綿するものと見做し、集団構成員として受容する。
また個人は、当該社会に共通する儀礼の提示によって、自らの属性を明らかにし、それを自己内統合する。このような相互関係(構成員の確認作業)によって、集団の凝集力と安全性は維持される。
5. 宗教儀礼としての葬送の役割

5.1. 殯(もがり)

現在、葬儀の多くが既成仏教教団の僧侶によって執行されるため、葬送とは、特定の教団の教義理念に沿って執り行われるものと理解されるが、果たしてそうだろうか。
確かに、現在の葬儀次第が形成されたのは、鎌倉新仏教による貢献ではあるが、一方で、僧侶のいない地域では、現在でも習俗を中心とする自葬で行われている。実際、同じ宗派であったとしても、葬送儀礼だけは地域色が多分に反映され、他所の地域の僧侶と同席する場合は、あらかじめ装束や次第の確認を行わなければならない。

このような事態が発生する要因の一つとして、葬送が特定の教団による「宗教性」(religiosity)ではなく、宗派宗教を超えた「霊性」(spirituality)に由来することが上げられる。宗派宗教もその辺りには寛容であり、儀式進行にあっては「宗教性」(religiosity)を優先するものの、告別式での習俗性を排除しようとはしない。

この「霊性」(spirituality)と表現するものを、葬送の歴史と比較したならば、「殯」が充当するからではなかろうか。「殯」には、(1) 魂が遊離する期間、(2) 陸墓造成期間、(3) 彷徨う(さまよう)魂を鎮める期間、(4) 死者の再生を願う期間、(5) 後継者を定める期間、など諸説があるが、遺体を安置する殯宮では、死者に近い血縁者が喪に服し、声をあげて泣き、集まった近親者は歌い、舞い、飲食する姿が、「魏志倭人伝」に記されている。

「其の死には棺あるも槨(かく)なく、土を封じて家を作る。はじめ死するや停葬十余日、ときにあたりて、肉を食わず、喪主哭泣し、他人について歌舞飲食す。すでに葬れば挙家水中に詣りてそうよく澡浴し、もって練沐の如くす」

どうやら「死を悼む」という行為に、今昔もないようである。この姿に、宗教儀礼として葬送をみることができる。葬送儀礼には、多大なる労力が費やされるために、何れかのコミュニティの協力なしに遂行することは不可能である。そこで儀礼を円滑に進める意味で合理的な儀式、次第作法が次第に整えられていったと思われる。

5.2. 葬送儀礼の簡素化と心の貧しさ

現在、あらゆる宗教団体では、東京首都圏を中心にコミュニティが崩壊、あるいは形成されていない地域での「宗教性」が問われている。特に、近年では直葬(ちょくそう)が問題視されるが、儀礼的視点に立つと、二つの要因が考えられる。即ち、(1) 葬送を協働するコミュニティが存在しない、あるいはコミュニティからの離脱によるもの、(2) 江戸期以降、地域に根付く宗派宗教(「宗教性」)によって、協力に拘束してきた宗教的道徳規範の欠落、である。

かつては、コミュニティを核として連動していた両者があったため、コミュニティの崩壊と同時に、葬送に付随する儀礼的要素、即ち、哀悼の意を表す(殯)意識が欠落し、簡素化の方向に向かっているように思える。葬送から儀礼要素が欠落すると、単なる形式だけが残り、経済的には葬儀業界全体の冷え込みに繋がり、また、宗教的には信仰心の希薄な社会へと移行する。儀礼によって齎(もたら)させる効果の一つに、安全性があげられたよう、儀礼が希薄な社会では、現在の日本社会のように非常に不安定で危険な状況を生み出す。この意味において、宗教儀礼の促進は、社会的秩序と日本人の文化力を取り戻す重大な作用を担っている。

copyright © 2009 多村至恩氏
無断転記、再利用は固く禁じます。 All rights reserved.