日本葬送文化学会                 7 月 定 例 会 ・ 報 告

                                                   日時:2005年7月21日18:30〜

                                                     於:東京文化会館 4F 中会議室 @

 テーマ 『日本における死者儀礼』   〜 キリスト教の米国宣教師の視点から 〜

講師:トーマス・ジョン・ヘイスティング先生

講演内容                          

  導入・自己紹介・経緯 】

 現在アイルランド系のプロテスタント牧師であるが、もとはカトリック。結婚も改宗のきっかけのひとつ。この

 ような事例は、欧米ではよくあること。

 アイルランドの人たちは、日常から「死」についての話をよくする。

 「死」に関する話題は、もっとも普遍的な事例であることから、日常的に語られている。

 私自身も1998年から3年間の間に両親・姉を亡くし、そのなかで直面した経験からいろいろ多くを学んだ。

 日本へきてびっくりしたことは、よく外人が口にする日常生活上の宗教的スタンスがはっきりしないということ。

 朝、神棚に手を合わせ、日中はキリスト世界と同じような体制で業務にいそしみ、夜は仏壇に感謝をささげる

 など。

 このような生活習慣に、それぞれの宗教的役割分担がうまく溶け込んでいることに大きな関心を持った。同時に

 日本へきて20年近くになるが、最初の赴任した北陸の教会以来、その後もいろいろ戸惑うことも多く、とくに

 日本のお葬式、つまり死者儀礼に関して大きな興味を持った。

  1:日本の宗教的分業

 遺言書の例話・・キリスト教の日本人大学教授が、その逝去の際、遺言に自分自身の葬儀をキリスト教式で望

 むことを記載していた。たいへん熱心なクリスチャンであるその先生でさえも、あえてそのような遺志を遺さね

 ばならないということが、遺言書を受け取るような一番身近な人にも、日常何も伝えられてはいなかった、とい

  う事実に驚いた。欧米ではありえない現象であり、これは日本において、キリスト教の信仰自体がきわめて「個

 人的」レベルの問題であるということの証明でもある。

 このような事例をみて、総括的に次のことが考えられる。

 日本のキリスト教は個人の精神的な必要性から個人とのかかわりが主体的になっている。

 また仏教はこれに対して、「家族」を中心としてその世代間、血縁を主体としている。とくにこれば死者儀礼、

 つまりお葬式の場面で顕著に表出されている。

 ただし、日本の家族形態は明治以降と第二次世界大戦後では大きな変容をきたしていることに留意しなければな

 らない。大まかな概念から「家」と「家族」というようなニュアンスで考えることが出来る。

 加えて神道は、明治において国家を主体として統制された背景も影響が強いが、基本的には地域風土を同じくす

 る共同体をその主体においているということができる。

 伊丹十三の映画「お葬式」の感想 

 宗教的分業の中で顕著にその特徴が現れるのが「お葬式」で、以前に上映された映画「お葬式」を見たとき、外

 国人にとってまったく理解しがたい場面が多くあった。

    日本の死者儀礼の中心的宗教は、もちろん仏教であるが、宗教学的立場からこれらの考察をすると、仏教で行う

 ことがあたりまえの儀礼慣習になってるにもかかわらず、誰もその意味や意義を知らないまま、平然と行われて

 いる。同時にそのような伝統がどのような課程で継承されてきたのかも知らないまま行われていることに誰も疑

 問を持たないことが不思議である。

 これらの現象から、家族自体が死の「備え」「理解」「教育」を怠ってきた結果、死そのものや死者儀礼に関し

 てまったく「無知」な状態にいるという事実を認識しなければならないだろう。

 そこに企業としての葬儀社の台頭があり、これらが企業的な営業側面のみで進められるとすれば、これまで継承

 されてきた、漠然とした中での伝統的な死や死者儀礼に関する感性や感覚が崩壊し、継承されえなくなる恐れを

 感じる。葬儀が手続き上の慣例化されることで、そこに内在する葬送の意味や意義、そして価値を喪失していく

 であろう。

 これらも、日本人の「個人化」傾向と捕らえることも出来るが、いわゆる欧米諸国がこれまでたどってきた「個

 人化」とはことなる、日本人特有の個人化ということが出来る。 

 行動中心主義「データブック〜現代日本人の宗教」から

   世界の多くでは、日本人の宗教に対する理解を、一般的に「無関心」あるいは「無宗教」的に論じる傾向が今で

 も根強くある。けれども、日本人の日常生活の中でいわゆる「宗教的行動」をも踏まえて論じるならば、日本人

 の宗教現象は数多く見ることが出来る。また祖先崇拝を行動規範においたものは、圧倒的にどこの国よりも多く

 見られる。

 お盆やお彼岸などに行われるお墓参りなどは、世代的な格差をこえて、多くの日本人の関心が高いというデータ

 もある。(参考:読売新聞の調査した日本人の宗教意識報告から)

 また、日本人の宗教的意識が根強く潜在的かつ強固なものであることは、アジアにけるキリスト教布教の数値か

 らも顕著に伺える。

 たとえば韓国のクリスチャンは宗教的意識を持っている人のなかで25%に達し、これは布教の成功事例を示し

 ているが、日本の数値は1%しかない。

 いまだに、この事実はキリスト教会の大きな疑問と布教における葛藤を生み出し続けている。

2:死者儀礼と日本精神文化

 「民俗宗教」の次元 「メイド・イン・ジャパンのキリスト教」

  これまでの日本における布教経緯を現状から考察すると、日本人特有の祖先崇拝意識の根強さから、既存のキリ

 スト教団から、日本の風土意識にあわせて「脱却」した独自集団が多く存在している。

 これはあまり他の国ではみられない現象と言える。これらの脱却集団は、日本にふさわしい布教の試みを用いて、

 いわゆる「メイド・イン・ジャパン」のキリスト教化しているといってもよい。

 1896年民法に規定された「家父長制度」は背景に士族型の父系従属を根底においているが、現在に至っても、

 「家」と「家庭」の二重構造は色濃く残存している。

 このことからも、日本における民俗宗教は深層的・潜在的に残存しているといってよい。

 そこに独自のアレンジされたキリスト教集団が派生してもおかしくはないし、また既存の教会・教団においても、

 特に死者儀礼に関しては、日本的式進行にあわせたアレンジを行っているのが現状である。

 儒教的実践倫理化

 「家」制度における義務は「同血統制」に基づいている。それを根底に祖先崇拝は世代間の連携をより強固なも

 のとして継続させ、いわゆる儒教的な思想背景もなじみが深いこともあり、特に「忠」あるいは「孝」により、

 士族型家族の普遍化の元になった。

 しかしながら江戸期においては、「藩」を基盤とした形態が維持されたが、明治期に入りこれが国家に統制され

 天皇を中心にこれに順ずる国家の「構成員」としての実践的な倫理観が浸透した。

 いずれにしても死者儀礼においては、その主体性を「家」制度を媒体としていることには変わりなく、これが近

 代に入り、そして現在に至って取り巻くすべての環境の変化から、さまざまな問題を表出させているといえる。

 そこではこれまでつちかわれてきた祖先崇拝や死者儀礼に関してのアイディンティティの根拠さえも揺らぐ問題

 を内包させ、ポスト・モダンにおいてこれは深刻なテーマとして提起される。

 現代日本は「悪質な個人化」傾向に向かいつつあると感じる。これに対応するためには、再度、「日本の伝統を

 踏まえながら」それぞれの儀礼の意味を認識して、これを行っていくような対策が必要ではないか。

3:キリスト教と死者儀礼

 16世紀(イエズス会とドミニコ会の衝突)

 1494年に伝来したキリスト教の日本布教において、一番課題となったのが死者儀礼と祖先崇拝への対応であった。

 イエズス会は土着の習俗に同調したが、ドミニコ会はカトリックを否定的に考えていたものの、これを不服とし

 た経緯がある。

   明治初期のプロテスタント宣教師

  「排除型神学」

  明治に入りあらためてキリスト教の布教活動が開始された。けれどもその多くは、これまでの土着的な風土習俗

 を踏まえて、独自の集団を作り、メイド・イン・ジャパンのキリスト教集団を生み出したことは先に述べた。

 死者儀礼においての作法では、明治30年代においては、それでもキリスト教式の形式が強固に施行されていたが、

 最近(1993年)のルーテル教会の式進行を見ると、仏式の葬儀手順をかなり踏まえて、かなり日本化されたもの

 になってきている。

 具体的には引導や弔辞・焼香などの行いが、「葬送の言葉」「追悼・弔辞」「献香・献花」に置き換えられ、初

 七日法要なども、Seventh Day Riteとして行なわれる。また四十九日忌における納骨なども50

  日目に行なうなど、土着の葬送習俗からの違和感を少なくしている。このような経緯から、年忌法要にあたる

 「記念会」施行においても、1年・3年・7年・12年・3040年としている。

 このようなキリスト教の本質的な教義作法からはずれた施行をするためには、いわゆる排除型野の神学構成が必

 要で、日本においてはこのような対応で行なっている。

 元士族の個人化

  明治初期におけるキリスト教信者は、特に士族が多いことが特徴的に見られるが、これは武士が消滅したことに

 より、浪人化、つまり士族は社会的には孤立した状況に見舞われ、その身分を喪失したことにより、個人化され

 た面を顕著に受容せざる立場になったことが影響する。

  通常の布教浸透形態から云えるのは、庶民層を基盤としたスタンダードな浸透ではなく、きわめて特殊な状況で

 あったということが出来る。ある意味近代の布教歴史から見れば、そこに矛盾を感じる。

   今日の教会の対応

 私が赴任していた金沢の若草教会で、面白いエピソードがある。

 その教会の墓地があまりにきれいなのを見た人が、信者でもないのに平気でその場所のお墓に入りたいと云う。

 赴任したばかりの自分には、これは日本人の宗教的無頓着さが表出したものと思ったが、あくまでもそれは表面

 的な見方で、その人たちの要望の背景には、仏教離れや経済的な理由があり、もう少し内面的に掘り下げて考え

 ておかねばならないと感じた。

  また、その教会の熱心な信者さんの娘さんの母が亡くなった時、その娘さんからキリスト教式で葬儀を依頼さ

 れた。娘さんの父は以前に亡くなり、仏式で葬儀は行なわれたと云う。

 このようなケースにおいては、なるべく引き受けるようにしているが、その時の手立てとして、葬儀をする前に

 故人のことをなるべく多くの親族や関係者から聞く必要がある。それは故人の人生観や趣味などからあらためて

 故人の人格を思い浮かべるためである。

 このケースでは、また驚いたことがある。それは式後、会食の席で隣り合った親族から、「私もキリスト教で葬儀

 を頼みたい」と、軽く云われたことで、またまた日本人の宗教観に驚かされた。その人がそのように思った理

 由は、葬儀においてとても親しみやすく、故人に対するいろいろな投げかけに感動したということであった。

 

  *限られた時間の中、たいへん有意義な講義であった。再度、ヘイスティング先生には、質疑応答の時

  間も十分にとって、ご来訪していただきたいと思いました。      

                                         報告 事務局 二村

 
《会場の様子》