日本葬送文化学会                  平成17年5月例会

                                             日時:平成17年5月20日金曜日 午後6時30分〜8時30分

                                             場所:東京文化会館 4階 中会議室の1

テーマ 『日本陸軍墓地史ー大阪・真田山陸軍墓地の事例を主に』
講師 横山篤夫氏(よこやま あつお) 関西大学非常勤講師 国立歴史民俗博物館共同研究員

講師プロフィール

千葉県生まれ、疎開して栃木県で育つ。東京教育大学文学部日本史専攻卒業。大阪の府立高校教諭、主に日本史を教える。定年退職後、関西大学、大阪教育大学、天理大学で非常勤講師。日本史史料講読、史資料研究などを担当。戦時期の地域社会の変貌を、聞き取りと文献史料を総合して調査してきた。そのフィールドの一つが大阪市天王寺区にある旧真田山陸軍墓地であったことから、国立歴史民俗博物館の共同研究会に参加してきた。

 

 大阪市天王寺区には、日本で最初の陸軍墓地&近代日本の国立墓地の第1号である「真田山陸軍墓地」が残されている。このなかの墓銘碑を調べていくにつれて、さまざまなことが明らかになるとともに、歴史文化財としての保存運動に取り組んでいる。また、第2次大戦前の徴兵制の下、軍という組織が、兵士の死に際してどのように接し、扱ってきたかがわかり大変興味深いものとなっている。

1.建設の経緯
明治政府は、最初大阪で軍隊を作ろうとした。これは大村益次郎の構想=「大阪開平」の考え方のもと、
 @政治と軍事は空間的に分離したほうがいいと考えた
 A大阪の地の利=陸上・海上ともに日本の中心に位置する
 という理由である。
 1871年(明治4年)から次のような手順で、整備を進めはじめた。
 @徴兵令を発した
 A屯所が作られ始めた
 B砲兵工廠
 C幹部養成学校
 D軍病院
明治4年4月10日に、日本で最初の陸軍墓地&近代日本の国立墓地の第1号を建設した。場所は、大阪城堀の南西、寺町のはずれ士屋敷と町人空間3社の境界線あたりに位置する上町台地の一角8497坪を確保した=公文書(資料)で確認。
当時は土葬で、座棺を使っていたので、墓地用地の必要面積は=1人1坪として、8000人以上のスペースを確保したことになる。
被葬者のうち、真田山陸軍墓地の最も古いのは、明治3年の陸軍学校生徒だった。
墓地内には、祭魂社=「招魂社」を設置しており、
●死体の埋葬
●霊の埋葬
という両面からサポートしていたことと想像される。
その後、全国各県に招魂社がつくられた。東京=靖国神社、各府県=護国神社の前身(原型)と位置づけられる。
なお、陸軍墓地が建設される前の、戊辰戦争のころは、その場所場所に埋葬していた。
その後、埋葬方法に関して次のような段階を経てきた。
1894年日清戦争 火葬して合葬する規則
1904年日露戦争 戦場掃除および戦死者埋葬規則制定、味方は火葬し、敵はその地に土葬する
1928年には、丘陵地を造成して平地にしたり、墓地・遺骨の大規模な整理・移転を行って、現在残されている景観の基本が形成された。
15年戦争など中国への進出や太平洋戦争の勃発などを経て、合葬形式の納骨堂がつくられるようになる。1943年8月に「仮忠霊堂」が完成して4万3,000余の遺骨を収蔵するようになった。
この忠霊塔に関して、1942年の初等教科書音楽に掲載されている忠霊塔の歌の楽譜をもとに、カセットで実演して聞かせていただい    た。さらに戦況が悪化して、ガダルカナル敗戦に対応して、遺骨還送業務に関する件を通達をだした。これは、遺骨は帰ってこなくても、英霊は帰ってくるという趣旨で、箱内には「遺骨ありより英霊あり」と遺族に説明せよと命令が出された。
 戦後になって、軍は解体され、真田山陸軍墓地は国有財産となった。最初は、GHQの指令で官庁がタッチしてはならないということで、市町村へ、その後団体が管理することになった。
 しかし、全国の陸軍墓地の多くは管理団体などが霧散したケースが多く、真田山陸軍墓地は、唯一団体管理となっている(財団法人大阪靖国霊場維持会、現在は財団法人真田山陸軍墓地維持会)。
 この墓地の研究をすることで、国民と軍、戦死者の関係を考えるうえで、象徴的な一面が現れているのではないか?
 当初は手厚く葬った軍隊も、戦況が悪化した最後は、非常に粗末に扱われたことがわかる。
@墓標の形が定められていた
 兵士の階級により墓域や墓石の広さ、大きさが細かく定められていた。
A日清・日露戦争以後から、火葬が始まった
 火葬により、遺骨収蔵という形式となり、最後は合葬式となった。



<質疑応答>
●谷さん
 大変感動した 末期がん患者と接しているとスピリット(魂)
 人が死んだときに魂を祭ることの重要性を感じた

●鎌倉 野崎さん
 硫黄島、スマトラ島、ミンダナオ島などからの300柱、南方遺骨収集した骨を、再燃焼し骨壷入れ、箱いれ
 厚生労働省は、誠行社に依頼している

●上村さん
 真田山墓地の墓碑を1つ1つ写してきた
 墓銘碑

●柴田さん
 1945年3月10日、東京大空襲に被災。深川で親類何日も探したが、何人も見つからなかった
 その後、軍のトラックが来て、トタン板に載せて行ってしまった
 以後、親類は盆の行事は熱心? これが民衆のこころの埋め合わせ?

 (報告・書記 福田)

[ 会場の様子 ]