日本葬送文化学会                            平成17年2月 定例会


2005年2月22日(火)18:30〜20:30

東京・上野 東京文化会館


講演テーマ 「タンザニア報告」−−タンザニアのキリスト教、イスラム教と伝統宗教

講師 上村敏文(うえむらとしふみ)氏(当会理事)
   ルーテル学院大学助教授
 

<講演内容>
スライド上映
 上村先生は、2003年と2004年末の2回にわたり、アフリカ・タンザニアを訪れ現地の宗教事情をフィールドワークしてきました。そのなかで、現地のホームステイ先家族の写真や、自然に囲まれたアフリカの印象深い風景をスライドで紹介していただきました。
なかでもホームステイ先の家族と囲んだ食卓や、かまどで煮炊きをする素朴ながら潤いのある生活ぶりが紹介されました。

 タンザニアは、赤道直下に位置し、東側にはインド洋を臨み、アフリカのエデンと呼ばれる人類のふるさと(有名なオルドバイ渓谷がある)にあたる土地として知られています。アフリカの屋根といわれるキリマンジャロや広大な自然公園を有しています。
 宗教的にはキリスト教、イスラム教、伝統宗教の三者が比較的平和に共存しているということです。

1.歴史的背景
 アフリカにおけるキリスト教の伝播は、AD64年には宣教師が北アフリカエリアに行った記録があるそうで、歴史的には非常に古い。エジプトやエチオピア、スーダンなどの北アフリカでは、最も早い時期にキリスト教が入った。
 しかし、7世紀から9世紀にかけてイスラム教が勃興し、ほぼアフリカ全土で勢力を伸ばし、逆にキリスト教は西暦1000年頃にはいったん消滅したようだ。
 そして、15世紀になって「大航海時代」が訪れ、今度はヨーロッパ経由でアフリカ各地への宣教と、探検の時代を迎えることになった。リビングストンなどの探検家によるアフリカ開拓の時代を経て、またイスラム教勢力が特に東アフリカのインド洋沿岸地域を中心に広まった。

2.今日のアフリカの教会
 スライド上映に続いて、ルーテル教会があるイリンガという町の教会のビデオを上映した。手拍子でリズムをとりながら、スワヒリ語の歌を歌いながら行う宗教行事は、厳格なキリスト教のイメージより、さながらみんなで楽しんでいるパーティのようだった。
 また、インド洋沿岸のバガモヤという町での教会風景も紹介された。

3.アフリカの伝統宗教
 アフリカの伝統宗教は、遊牧民であるマサイ族などを中心に長らく共存してきた。ところが、20世紀の中盤から後半、現在にかけてマサイ族のほとんどがキリスト教に改宗するなど、大きな変化の時期を迎えている。
 タンザニアのルーテル教会に属する信者は、以下のような急速な勢いで増加している。
 ●1955年 約20万人
 ●1975年 約75万人
 ●1992年 約150万人
 ●現在  約250万人

4.なぜ、キリスト教とイスラム教が伸びているのか?
 マサイ族が大量改宗に及んだ要因として、ひとりのアメリカ人の影響が強いといわれる。人食いライオンを至近距離で銃殺した事件があって、勇敢に戦う姿をマサイ族が感銘を受けたという。
 また、マサイ族のメディスンマン(呪術師?)の夢の中にイエスが現れたといった伝承が伝わったことも要因の一つといわれているようだ。
 一方のイスラム教は、宗教的には比較的寛容で、しかも貿易などの面でイスラム社会との交流が広がり、ビジネスチャンスが広がるイメージで拡大した。

5.今後の課題
 タンザニアでは、イエスは黒人と信じられているようで、また教会側も白人ではなく現地人がエヴァンゲリスト(伝道者)となり、信仰を広めるようになって定着、拡大していている。
 また、行事も先述のようなアフリカ的な音楽・リズムと融合することによって、その領域を拡大している。こうした現地化によって、これまで西欧諸国など北半球で拡大してきたキリスト教の歴史に対し、で21世紀はアフリカを中心に南半球においてさらに拡大していくと考えられる。

 なお、ビデオではタンザニアの墓地(現地宗教、イスラム教、キリスト教)の映像も紹介された。それぞれの埋葬様式は異なるが、いずれも土葬。実際に柩が納められる土葬用の穴の様子も紹介されていました。


※アフリカのタンザニアといわれても、すぐにはぴんとこない遠い国のイメージでしたが、上村先生が情熱を込めて素晴らしい国ということを力説していたことが印象に残りました。老後は、高原地帯に暮らしたいというほどタンザニアに魅せられた先生が語るタンザニアの風景、自然、人々の暮らしは、いままで知らなかった国に親近感がわきました。
(文責 福田充)