日本葬送文化学会                 12月 懇 談 会(報告)

                                                   日時:2004年12月23日18:30〜

                                                     於:東京文化会館 4F 中会議室 A

 テーマ  『上海殯葬シンポジウム・展示会に参加して』

 報告者:福田 充氏 フューネラルビジネス誌 編集長ほか

 

上海行きの飛行機は、国際線という感覚にはほど遠い、成田から3時間にもみたないフライトだ。日本列島を西へまっすぐ飛び、大方は福岡行きの国内線ルートをなぞっている。

九州の海上に連なる五島列島の島が懐かしい姿を見せたと思ったら、東シナ海上空である。ほどなく、夕日に照らされた雲の固まりがなんとなく黄色く染まっているようだ。

もうすぐ国境かと思うまもなく、土色に濁った海面が広がるようになり、中国大陸の端にあたる陸地が視野に入ってきた。日本と中国の距離は、ここまで近いのかと実感させられる瞬間だった。

飛行機は、上海浦東国際空港に向けて高度を下げてゆく。夕日に照らされた大地には、延々と続く畑と点在する住宅。その家々も、想像していたような古き・貧しきイメージ(?)の中国の家並みではない。オレンジ色の屋根をした数軒の家が固まって点在しており、新しく建てられたもののようだ。日本の郊外の田園のなかに、ミニ開発された建売り住宅のようにも見える。

上海浦東国際空港は、フランス人が設計したという、アールをつけた大屋根に囲まれたごく近代的な建物だ。10年前、関西国際空港のオープニングセレモニーに立ち会ったとき感じた新鮮さが、わずかの間に追い越されてしまった印象だ。エプロンに駐機している飛行機も、どことなくアジアのハブ空港のイメージを醸し出す。

確かに、実際に大陸の一部に身を置いてみると日本列島の島々がいかにも辺境と感じるのは、筆者だけだろうか。

1998年に完成した上海浦東国際空港は、フランス国営企業がターミナルビルの設計・建設を担い、滑走路をはじめとした多くの空港施設は、日本企業の建設JVが担当したものという。大方の資金は、ODA(政府開発援助)などの援助金でまかなわれたらしい。

飛行機を降り入国ゲートカウンターに向かうと、すさまじい人だかりである。中国では13億人といわれる人口、なかでも一番の規模を誇る上海市は1700万人近くの人々が暮らしているそうで、おふれるエネルギーを感じさせた。

地平線を覆い隠す超高層ビル群

2004年に、空港から市内を結ぶリニアモーターカーが開業し、世界一のスピード時速430kmの高速鉄道が走っている。しかし、一般には評判がよろしくないようで、空港出口にはたくさんの送迎用バスやバン車が待機している。リニアモーターカーは、どうも市内のはずれまでしか路線が引かれておらず、ダウンタウン(繁華街)に行くには、終着駅からバス・タクシーに乗り継がないといけないらしい。そのため、ガイドの話によると、巨大な投資に見合わないまま、もっぱら観光用としてアトラクション扱いされているようである。

上海市街は、噂に違わず70〜80階建てという超近代的なビル郡がその偉容を競い、高層マンションが地平線をさえぎり、遠くの景色はビルの連山のようになっている。一方、足下を見ると古い中国がいたるところで入り交じった印象である。

何層にも積み上げられて立体交差するハイウェイは、見事な曲線を描きつつも、出入口ではすさまじい渋滞。夕方のラッシュのなかで、ひっきりなしにうなりをあげる車の喧噪とクラクション、割り込みする車群、とても自分は気後れして運転する気にはなれそうもない。

街の中心部の高層ビル、20階建て以上の超高層ビルは2000〜3000棟もあるという。日本は全国でも1500棟というから、ざっとその2倍近くにのぼっているという。それも、21世紀に入ってからのつい数年間の出来事のようである。

かつて日本で「超高層の曙」という映画がつくられたのは、東京・霞ヶ関ビルが竣工した1960年代のことである。ざっと数えて40年前である。日本が半世紀近くの時間を費やしてつくり上げた経済的発展の1つの象徴である高層ビル群も、わずか5〜6年で実現してしまっているようにもみえる。

確かに、上海では地震がなくビルの高層化が可能で、景観や建坪率といった規制が少ない事情があるという。しかも、日本と異なり、土地は基本的には公共のもののようで、日本のように地価という馬鹿げた足枷が少ないという背景があるようだ。

 図表1

1位 2位 3位 4位 5位 6位 7位 8位 9位 10位
不動産業 有料道路 葬祭業 自動車教習所 電力 ケーブルテレビ 保健・医薬品 個人教育 教科書出版 オンラインゲーム

図表1に中国で儲かる商売のベスト10を掲げた。上海市内の高層マンションや住宅建設ブームのなか、不動産業がトップで、第3位に葬祭業があげられているのも興味深い。

誰が言ったのか正確ではないが、ある中国高官の「日本が30年かかったことを、わが国では3年で実現しよう」という言葉を耳にした。これがただの大風呂敷ではなく、本気で成し遂げようとしているのだということを実感する。

日本のバブル経済が崩壊した後、中国では1992年から故小平氏が「社会主義市場経済論」による改革開放政策を提唱し、「豊かになれる者から、先に豊かになりなさい」という先富論のもと、急速な経済成長を遂げてきた。同時にそれは、激しい競争社会を生み出していると思われる。

潟Tーチナ・中国情報局(http://searchina.ne.jp/)のHPによると、2003年、中国のGDP(国内総生産)は、成長率9.1%を記録し、11兆6694億元/1人当たり9030元(145兆8700億円/約11万3000円)に達したという。これは、1992年(2兆3938億元)の5倍近くにのぼり、わずか十数年間でめざましい成長を続けている。さらに中国政府は、2020年には00年の4倍にする計画という。まだまだ成長の勢いは衰えそうにもない。

物乞いとロレックスが同居する街

観光がてら街に出てみると、喧噪のなかには四肢を欠いた物乞いの姿が目立つ。そして、「社長、ロレックス?」と呼びかける物売りと、呼び込みの少女たち。道路にはベンツが走り、自動車とオート三輪、リアカーがわれ先にと急ぐ姿。

アジア的な熱気、というよりオリンピッククラスのランナーが参加している市民マラソン大会のスタートラインのようだ。誰もがゴールを目指しているはずなのだが、前後左右にあまりにも人だかりが多くて身動きができないので、まずは目の前の一歩に集中している。個々にはまっすぐ前に走っているランナーも、数百、数千人単位となると、ただの団子状態にしか見えない。

老いも若きも、貧しい者も富める者もわれ先にと急ぐ姿は、かつての日本の姿でもある。

同行した褐益社吉田武社長は昭和12年生まれ、そんな時代を過ごした、かつての大阪と比べていた。

「昭和30年代の大阪もこういう姿だったよ。歩行者から自転車、オート三輪までわれ先にと道に割り込もうとして、クラクションを鳴らし、ホコリをまき散らしながら走っていたから」

繁華街は夜遅くまで人通りが絶えることなく、まばゆいばかりのネオン群である。新宿・歌舞伎町のネオンより規模は大きい。大陸中から集まったであろう人々が豊かさと繁栄を求めて、たむろしているようだ。かつて日本人が競い追い求めてきた豊かさへのレールを後追いしているようにもみえる。

ただ、根本的に違うのは日本社会では永遠には求め続けられず、ある到達点に達してしまって、次のゴールが見えにくくなっているのに対して、ここ中国ではこの先100年、200年経ても永遠に豊かさと繁栄を追い求め続けていくのではないだろうか。「豊かになれる者から、豊かになりなさい」という小平を地でいっている。

その点、日本では気候といい国民性といい、均質的な環境のなかで暮らしていて、短い期間に一丸となって発展してきたということなのだろう。ウサギとカメの競争でいえば、遅れてきたカメは遅れたぶん以上に猛スピードでウサギを追い越そうとしているようにも感じられる。

万博開催まで膨張を続ける?

赤い中国、毛沢東主席が目指した社会主義中国の面影を意識して探してみようとするのだが、うち捨てられたように佇む古い工場や農村地帯の共同作業場のような建物にその片鱗が残っているにすぎない。街にはファーストフード、コンビニもあれば、「新天地」という観光スポットにはスターバックスから若者があふれている。

飛行機の窓から見た建売り住宅群を間近に見ると、エンジ色の瓦屋根を葺いたペンション風の洋館である。高層ビル群が町の中心部の発展のシンボルとすれば、郊外ではハイウェイとこれら洋館である。

八木澤壮一共立女子教授に、その建築様式はどこからきたものかと尋ねてみると、「グチャグチャ、なんでもありですよ」という答え。

これらの洋館こそ、「万元戸と呼ばれる農家」という。もちろん、多くが農家なのであろうが、周辺部ではそれ以上にモダンな住まいを提供する建売り住宅に見える。かつての日本。経済発展に伴って都市周辺では農地を切り売りして大金を得た農家が、広い敷地の一角に黒光りする瓦屋根の豪華な家を建てた姿とイメージがだぶって見える。

一方の洋館群は、ニューファミリーが移り住む需要を見越しているようで、地方から上海に出稼ぎにきていた人々が都会暮らしを選び、地元には帰らず永住しようというニーズがふえていると思われる。

さらに、周囲を堅固な塀で囲んだ高級別荘地らしき一角がいくつか目に入る。これらの建物群は、いかにも金のかけ方が違う高級感を醸し出している。セキュリティ完備のこうした住宅群は、おそらくビジネス上の勝ち組たちのものが、投資用とみられる。

04年9月、上海市における「ユニバーサルスタジオ」の建設計画がキャンセルになったという。それでも、上海におけるビックプロジェクトは次のように目白押しである。

2004年リニアモーターカー開通、2004年上海F1グランプリ開催、2007年高さ世界一のビルが完成予定(101階建て)2008年上海〜北京高速鉄道開通、2008年北京オリンピック開催、2010年上海万博開催

夜の会食場で、香港の葬祭関係者と会った。香港ではフューネラルビジネスは発展途上で、いくつかの私企業が運営している葬祭場と公営の火葬場があるという。

上海の発展に影が薄くなった観のある香港だが、05年待望の「ディズニーランド」がオープンする。飛行場とダウンタウンの中間に位置しており、アプローチ道路などの整備が急ピッチで行われているという。

彼は、「上海ではユニバーサルスタジオの建設がキャンセルされたが、F1レースが開催されたし、万博博覧会の開催もある。上海は上海で、まだまだ発展するでしょう」とライバル意識を露わにしていた。

中国国内同士でも、競い合うスポーツ感覚にあふれているようにもみえた。自らレースに参加しなくなった日本人は、オリンピック、サッカーや大リーグなど、「感動した」と他人事の熱狂を楽しんでいるが、どうも彼らはいまそのレースの最中に自ら当事者として身を置いているのだろう。

「踊る阿呆に見る阿呆」ではないが、「参加することに意義がある」などと言い訳していたらどんどん追い越されてしまうのは確実であろう。

第2回上海国際フューネラルシンポジウム&ビジネスフェア

今回の取材は、主催者の上海市殯葬服務中心の招きによるもの。上海市殯葬服務中心(略称FIS=Funeral Interment Service)は、上海市民政局の事業部門で、葬祭関連業務を総合的に担当している(図表2)。

図表2

テーマ 主催 運営 共催 後援 日時 場所
環境保護 上海市民政局 上海市殯葬服務中心 上海市殯葬協会

上海市社会福利国際交流中心

中国殯葬協会 2004年11月16〜19日(4日間) 上海光大会展中心国際大酒店

(上海市漕宝路66号)

04年6月に弊社が開催した「フューネラルビジネスフェア&シンポジウム2004」にもブース出展をしており、環境に配慮したタケ製・紙製棺や骨壷などの展示を行なっていたので、ご記憶の方も多いと思う。

FISは、葬儀、火葬、骨灰の保管・海への散骨など葬祭サービスを葬具の生産・販売・科学研究と一体化し、総合サービスとして提供している大型葬儀グループ。18施設の市立大型葬儀館(葬儀式場・火葬場)や墓地、企業などを管轄している。

03年の1年間で、FIS直営の葬儀館と墓地は5万体の遺体を火葬し、4万柱の骨灰を保管、2万基のお墓を販売したという。

中国・上海における葬祭フェア開催は02年11月に続いて2回目であるが、今回は規模が拡大された。日本からは、今回同行した八木澤教授や吉田社長も、シンポジウムの講演を行なった。

中国の年間死亡者数は約820万人(火葬率50%)あり、葬祭市場規模2000億元(2兆5000億円)以上といわれるが、なかでも大都会・上海市においては、先端的な事業展開が行なわれている。

今回のテーマは「環境保護」であり、経済成長が続くなかで葬祭業も地球的な環境保護の観点が必要とされている。

盛りだくさんな内容のシンポジウム&展示会

会場となったのは、市内西部にある四つ星ホテルで、800室の客室のほか、コンベンションホールを有して連日各種の国際見本市が開催されているところである。

オープニングセレモニーは、国際葬儀協会や国際火葬協会などの関係者を招聘して大規模なものとなり、ビジネス面よりも多分に「世界」を意識したセッティングが目立った。国際社会のなかで、中国・上海の存在感のアピールと、葬祭分野でもアジアのリーダーシップをとっていこうという姿勢が強く感じられた。

シンポジウムは、中国国内のみならず台湾・日本・東南アジア、ヨーロッパ、カナダなど各国から講演者がそれぞれ葬儀・墓地・火葬場などの現状について講演があった。プログラムは、およそ1人20分ほどの短いものであったが、3日間にわたって30本近く用意されて、国際色もありバラエティ豊かなものだった。

また、ガイドブックには100本以上の小論文が中国語と英語で掲載されるなど、一民間企業にはなかなかできない充実ぶり。

一方、展示会場には中国国内の企業を中心に台湾、日本などから約60社の出展があった。日本からは、葬祭用品の鍵屋、サンシール、ビューティ花壇など4社が出展していた。

鍵屋は、上海に葬祭余蘊品の工場を設立しており、サンシールでは市内施設に遺体冷蔵庫を納品することが決まっているという。また、ビューティ花壇は中国での生花生産とともに、将来的な生花祭壇など需要・技術ニーズ拡大を見越しているということだった。

来場者のなかには、葬祭関連用品の仕入れがてら日本から訪れたサプライヤー企業経営者も、複数見受けられた。