日本葬送文化学会                 11月 定 例 会(講演)

                                              日時:2004年11月20日(土)18:30〜

                                                於:表参道 クラブハウス会議室

                                                  港区南青山5-1-3青山ラ・ミアビル6F

                                        

 テーマ 『 日本人の死生観 』
講師 ムケンゲシャイ・マタタ氏

略歴

オリエンス宗教研究所所長

1960年、コンゴ民主共和国生まれ。アウグスティヌマ大学(言語哲学)

サン・シプリアン神学大学卒。上智大学神学部修士課程修了。

共著「いま、神道が動く」ほか、論文多数。カトリック神父でもある。

* オリエンス宗教研究所 〒156-0043 東京都世田谷区松原2-28-5

  ムケンゲシャイ・マタタ氏の特別リポート

                         http://www.kaigai-senkyo.jp/world/nation24.htmlから一部抜粋

3年ぶりの印象 「日本から見たコンゴ民主共和国」

 去る8月に3年ぶりコンゴ民主共和国(以下コンゴ)に一時帰国しました。今回生まれ育ったコンゴに行って、浦島

太郎のように日常生活の変化に直ぐには溶け込むことが出来ませんでした。1991年から新しい政治体制を作ろう

とするコンゴは、現在、激しい内乱と国際的な政治の争いによって脅かされています。

1、都市部への人口の流入

 新しい政権に変わって多くの人々が安全を求めて都会に集まって来ている状態です。夥しい人々が何十キロもキ

ンシャサの中心部に向かって歩いているのに大変驚かされました。

 以前に比べると、走っているタクシーやバスは皆古く、道路は壊され、電気設備も放置されていて機能していません。

この内乱がもたらした被害について考えてみると、国が発展するより、後戻りして行くような気がします。独裁政権や

コンゴを植民地化して来た国々が、この国の資源をコンゴ人でなく外部の人々が消費する状況を作ったことが、

一番国を脅かすものとなっています。

 コンゴの人達は複雑な気持ちで、戦争なき明るいコンゴをいつも待ち望んでいます。

・・・・・当日配布文より抜粋

◆講演報告

  定例会として、今回は港区表参道の会議室を使用して行なった。当日は23名の参加者があった。

   以下講演内容( 箇条書き )

 

・オリエンス宗教研究所は日本と西洋の文化の架け橋として1958年に創設された。

おもに全国のカトリック教会の出版・印刷物を制作している。

・マタタ氏はカトリックを中心に、特に日本では仏教と神道の研究をしたことから、現代における日本人

 の死生観について各地・各大学で講演されている。

・そのようなきっかけになったのは約15年ほど前、日本に来て、当学会会員の小谷みどり氏の自宅にう

 かがった際、「初詣」につれて行かれたことが、日本の文化にふれる最初であった。

そこで、日本人の死生観に興味を持ち、柳田國男から勉強し始めた。7.8年前には東大で宗教学も学

んだ。

 *柳田國男・明治8年(1875)生まれ。東京帝大卒業後、農商務省農務局に勤めるなど官僚の職に就くか

  たわら、『遠野物語』などの民俗学への道となる書を著していった。雑誌『郷土研究』の創刊は民俗学

  が独自の領域と主張を持つための基礎づくりとなった。大正8年(1919)官界を去り、翌年朝日新聞社の

  客員として全国を調査旅行し、『雪国の春』『秋風帖』『海南小記』の三部作が生まれる。昭和5年

 (1930)同社を退職、ますます民俗学に専念、自宅で民間伝承論講義を行うようになる。『国史と民俗学

  』や雑誌『民間伝承』を創刊させるなど、昭和37年(1962)心臓衰弱で死去する日まで民俗学に心血を

  注ぎ、研究し続けた。

・生と死を「社会的現象」としてみる。が同時にこれは「心臓と肉体」のように切り離しては考えられな

 い問題でもある。

・生きている人間と死んでいる人間の間にはどのような相違点があるのか?

私たちは身近な他者の死から、生涯を通じて死を身近に経験することも出来るが、それは当然直接的な

ものではない。だからといって、死を統計学的な観点から論じるのも陳腐な捉え方である。

いわゆる「三人称の死」(知らない他人の死)は基本的に死の存在を知らしめるものではない。

また自分自身の死についても、それは知りえない「秘密」である。ここに死の持つ絶対的な不可知性が

ある。

・それらを「自分が生きてきた過去」と「自分が生きていく未来」とを照らし合わせて私たちは考える。

その意識も、死が共同体での取り扱いから個人的なものに委ねられていく過程で、大きく変化してきて

いる。

・日本人の死に対する見方として、自然との一体感や生命の自然との同化があり、これを普段から自然に

 うけいれるものと云う考え方があるのではないか。これを日本人の「無常観」として考えている。

この感覚は日常の思考に深く浸透していわば基層的なものの考え方として潜在意識に存在するのではな

いかと思う。とくに紅葉や花見における『散る』ことへの美意識は、去るものへの思いを情感として捉

えてはいるが、ある意味それ以上に「思いをかけない」と云う姿のようにも思える。

これが、日常的に良く使われる日本人の言葉に、「どうせ・・何々・・」の「どうせ」と云う言葉が

ある。この言葉は、諦めともつかない成り行きを認めざるを得ないと云う意味で、無常観と結びつく言

葉のように感じることが出来る。

・吉田兼好の「徒然草」などにも、この無常観は貫かれていることから、それは「死の同義語」のように

 思っても差し支えない。またそこから読み取ることの出来ることに「死は自分の先にあるのではなく、

 自分のうしろにある」という感情も受け止めている。

また同時にそれは、個の喪失ではあるが、個を含む「集団の不死」と云う観念も内在させている。

(解説:人は死を持って生涯を閉じ変化させていくが、それを取り巻く自然や共同体にはなるべく変化

 がないことが望まれている感覚もある。)

・加藤周一によれば徳川から近代にかけてまでは日本人の死生観は変わっていないと云う。つまり死は集

 団的な出来事であり、日本人は感覚的に多元主義でまた同時に現象主義的な考え方に愛着を持っている

 のではないか。死は現実の世界から与えられたもので、共同体の中においては、「静かに死ぬ」ことが

 肝要であり、劇的な死や、個々の死に対する「個人差」をなくしていく事で、「共同体の不死」を維持

 していこうとしている。

 *加藤周一・・1919年、東京に生まれる。評論家、小説家。東京大学医学部卒。46年、中村真

  一郎、福永武彦との共著『1949 文学的考察』を刊行、文壇の注目をあびこれを機に活発な文筆活

  動に入る。定型詩の試みをまとめた『マチネ・ポエティク詩集』、小説『ある晴れた日に』、評論『文

  学とは何か』『美しい日本』『抵抗の文学』『現代詩人論』など活動は多彩を極める。他に『雑種文

  化』『羊の歌』『日本文学史序説』など。『加藤周一著作集』全15巻がある。

・日本人にとって「良い死」とは、それを「潔く、あきらめ」を持って受け入れることで、

 @共同体の利益を損なわず

 A共同体の秩序を乱すことなく

 B共同体の方式により葬送を営む

 ということがこれまでの感覚であった。

・これが現代において、伝統的な死生観を動揺させつつ、表出した議論になり始めてきている。

これは、特に維新後、あるいは戦後において、合理主義と自然科学の発展に象徴される社会が出現して

きた中で、この伝統的な死生観や葬送手法は土着の宗教観(特に仏教的な供養観など)を背景として、

そのつどうまく知恵を働かせて、利用し、あてはめてきたが、それも今となっては大きく揺らいできて

いると感じる。

・現在において、死の問題は「病院と葬儀社に奪い取られた」のではないか。そこにおいてたとえて云う

 ならば、死は「離陸」のみを取り沙汰して「着陸」を考えていない飛行機の行く末のように感じられる。

これを「没文明」の状態と云えるのではないか。つまり私たちが「社会的家畜化」されたことにより、

現世において目先の安全と些少の経済的な豊かさのみを確保したが、そこには生きていくことの楽しさ

や価値を本当に実感しているかどうか、きわめてわかりづらくなっているように思われる。

 「この世」がほんとうに楽しくなければ、「生まれ変わる」意味がない。つまり生の喜びが感じられなけ

 れば、「再生」の希望を失うということだ。これは日本人の死生観、他界観に大きく影響をして、葬送

 のあり方や、その後の供養観などに別の意味で無常観をつのらせていく。この改善手当てがなされてい

 ないように思う。少なくとも、没文明論的な思考は解体していかねばならないと思う。

・五木寛之いわく「死とは不条理なもの」であるが、そこにとどめるだけでは、なにもならない。

これまで培われてきた、「神の救済」「仏の慈悲」と云う様な高い価値は、誰はばかることなく受け入

れて、深層的な心の糧としてきた社会から、今はそれさえも多様な価値観との「相対的」な比較がなさ

れている現代社会になり、その弊害を問うていかねばならないのではないか。

・日本人の先祖感については、これまで民間信仰的に生者と死者の交流をいそしむことで、培ってきた。

この背景には現在でも祟りを信じる人の統計から基層的な基盤を感じる。

統計では若い人においては15%、全体では40%近くの人が祟りを信じ、それを畏れていると云う。

なかでもその数字内容に多いのは女性である。

 

・コンゴについて・・同じような国名で2つあるので注意が必要。

マタタ氏はコンゴ民主共和国(旧ザイール)の出身。もう一つはコンゴ共和国で小国。

◆コンゴ民主共和国・・アフリカ中部の大国

面積・・226.7km2(日本の6倍)

人口・・5,380万人(2002年)

首都・・キンシャサ(Kinshasa

言語・・フランス語(公用語)、キコンゴ語、チルバ語、リンガラ語、スワヒリ語

宗教・・カトリックを中心としたキリスト教(85%)、イスラム教(10%)、その他伝統宗教(5%)

・先祖感では、日本の農耕社会に共通したものを感じるが、おもにそれは大家族であり、先祖は恩恵とし

 て現世・未来に私たちの子供を授け、また私たち家族は先祖を守るものということで、先祖と家族のき

 ずなは深い。そこでは、それを含む共同体が、伝統的な土着信仰を日常生活の中に組み入れながら活か

 していくと云う点が日本と似ている。けれども、日本のように、いわゆる先進国・文明国では、これは

 きわめて特異な例であるといえる。

以上

《 会場の様子 》

   

   

   

 

        

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

事務局報告