日本葬送文化学会                 2月定例会

                                                      日時:2004年2月19日18:30〜

                                                        於:東京文化会館 4F

「旧・伝染病隔離病棟と火葬場」
日本大学大学院理工学研究科 講師 浅香勝輔 氏(日本葬送文化学会 常任理事代表)

〔 講師略歴 〕

昭和4年生まれ。早稲田大学文学部卒業。昭和31年早稲田大学大学院文学研究科修士課程修了。

早稲田大学教育学部非常勤講師を経て昭和55年日本大学理工学部教授。平成4年日本大学より博士(工学)の

学位授与。学位論文「都市化域の拡大に伴う火葬場の変容に関する研究」

平成11年日本大学を定年退職。現在、日本大学理工学研究科 講師。

〔 主な著書・業績 〕

「火葬場」(八木澤壯一氏と共著 大明堂)

「民営鉄道の歴史がある景観T〜V」(佐藤博之氏と共著 古今書院)

「歴史がつくった景観」(足利健亮氏らと共著 古今書院)他多数・・

 

講演者からの提言

『 火葬場を歴史的・経済的・社会的基盤と状況との関連でとらえ、一つの試論を提示したい。近代以降の日本を「国民国家の形成における統合と隔離」という視座からとらえたとき、その「隔離」の末端に、火葬発展の一つの道筋があったのではなかったか。史料の問題とか、地域・住民の扱い方の方法に注意しながら、考察してみたい。 』

 

1、『「国民国家」の形成における統合と隔離』

  治療と予防のための措置→隔離という措置→火葬場が付随→瓜破村外六箇村組合伝染病院の設立→東京

  の駒込病院と大阪の桃山病院。隔離から治療へ連なる新しい道→伝染病予防法から感染症新法へ。

2、『戦後の歴史学のなかの「国民国家」研究』

  都市問題などで即物的にとらえられる→史料の有無→住民の扱い方→病院史の不在→特に結核療養所→自

  治体史の中に火葬場への信及不足。病院の存在により火葬場の位置が固定されるケースが多い→単なる火

  葬をする所と火葬場とは異なる→臨時的なものか半永久的なものか→場所固定の判断

3、『近代の「死」に続く「火葬」行為の理論仮説』

  有主・有縁の日本的社会→原近代の「原無縁」→産業資本主義確立期における経済的弱者、病的弱者へのし

  わ寄せ→火葬による「骨下」→連隊所在地の火葬場の動き→細井和喜蔵「女工哀史」→シャボン玉の歌→刑

  務所のような塀があった紡績工場→戦間期への注目

4、『「避病院」とペアの火葬場』

  日本各地でのコレラの恐怖→「焼室」を持った群馬県前橋市の「避病院」の出発→前橋赤十字病院と前橋市斎場

  兵庫県朝来郡和田山町の合併以前の各町村の隔離病棟と火葬場のペア→民俗学的視座→和田山町の上垣

  医院に往時の隔離病棟が現存。ハンセン病療養所付設の火葬場の確認→「小島の春」の小川正子の遺言。

5、アカデミックな火葬場研究への道

  建築学科の学生にとっては珍しいだけ→現実の火葬場建設へのノウハウ的意見→組織立った教養に立つ手

  堅い体系的研究の必要性→今はそれらしいオーソドックスなものが無い→とりあえず地域に根ざした実証的研

  究→「特異な歴史をもつ特異な施設と片づけられていないか」→火葬場の歴史的位相→純正な後継研究者の

  育成と支援→学際的研究→慶応のSFCや、京大人間環境学研究科での講座設置。

冒 頭

講演タイトルに「旧」をつけた意味は、伝染病と云う言葉が「差別用語」として取られる事があるから。また火葬場施設の創設経緯には、伝染病とのかかわりが大きく影響している。それらを踏まえて、最近の火葬施設におけるいろいろな考え方の中に、死者への同情的な意匠や多人数の会葬者に対する配慮など、基本的な創設意図からあまりにかけ離れて、単なる「火葬のみ」のシンプルな施設目的を逸脱したような心情的に付加された機能設備などが見受けられる。社会的な変化に応じても、初源的な火葬場本来の創設経緯を踏まえた上でこれらを学問の移相として、束ねていく必要がある。

かつての日本に多く見られた行路病死者や捨て子などへの対応がどのようになされてきたのか、いろいろな問題をそこに見る事が出来る。

* 松尾芭蕉「野ざらし紀行」のなかに、静岡県富士川あたりでの捨て子に対する対応などが書かれている。

また、、瀬戸内海などで古くから行われていた「回帰葬」などの散骨事例も提起しなければならない。現代においては市長村合併などによる火葬場への弊害も新たなる問題として浮上してきた。これから火葬に関しての文献記載が公文書をはじめとしてあまりに少なく、歴史的事実の中にあける火葬場や火葬施設に関しての空白が多い。このような状況の中での火葬場の近代的発展の経緯を語るのはきわめて難しい。

ただ、一般的に1:野焼き場・火屋(ヒヤ)からの成り立ちや

          2:土葬場所のスペース的な問題を踏まえて「骨化」の必要性が出てきたこと。

          3:都市移住から人口の集中がなされ、地方出身者の逝去に際しては、これを遺体のまま故郷へ

           送る事が出来ないために、都市部においては火葬が拡充した。

          4:そうした中で、伝染病に際しての強制的な火葬もまた行われていた。

・ 伝染病病院におけるその近代化経緯には、病院施設自体は施設・機材などが医学的な発展により大きく様変わ

 りするが、そこに併設された火葬場は施設概要の上でも、近代化に遅れをとった。

・ 伝染病を「隔離・隔絶」することは、当然ながら社会的な使命でもあるが、国家的な衛生行政の強硬な行き過ぎ

 から、地域社会における人心の面では、それらが伝染病者への「差別」的な観念や処遇へ発展した。

・ 伝染病の摂取に関しては、当初文部省医務局であったものが、国際的な意図から内務省・警察の主管に移り、

 国家権力の統制の中でますます孤立化された位置づけとなる。これは後に厚生省所管となるまで続く。

・ 法制では、明治30年伝染病者の火葬法が独立化。大正8年には結核予防法が成立。また昭和2年には花柳病

 などの防止法が成立する。

・ これらの経緯から、伝染病対策に関しては、強制的、高圧的な規制をもって、その接触を避け、また病者への差

 別を仰ぐことで意識づけをさせるような風潮が見られた。ある意味、「軍人になるべく青年の保護」は国家的課題

 でもあった。これらの経緯から「医療ファシズム」の台頭が見られた。

・ 平成10年になり、この伝染病予防法が改正され感染症予防法の新法化となる。

・ 厚生省の「厚生」の意味は「書経」の一文「正徳利用 厚生惟和」からきている。     

・ 伝染病で亡くなった方は火葬しなければならない。

・ 今回のテーマに即すると上記の4番にあたる。

・ 伝染病を広がらせないということが国家強化になる。

・ 江戸時代の疫病が明治時代に入っては初めて伝染するということがわかる。しかしなぜ伝染するか分からない

 ためお祈りなどをする。

・ そのうち水や空気などで伝染病というものが集団的に広がることも分かってきた。

・ 伝染病を扱うのは今では厚生労働省ではあるが、それまでは文部省を通じて総務省と連絡をしていた。

・ 明治30年に伝染病予防法ができる。それには伝染病が火葬されることが明記される。結核予防法が大正8年に

 できる。昭和2年に花柳病予防法ができる(性病)。今でも街に花柳病○○医院というのがある。

・ 花街とは“はなまち”とは言わない。「花街ブルース」などとあるように、“かがい”という。遊郭、いろまちということ

 である。“紅灯の巷に行きて帰らざる、人を真の吾とふや”という歌があるがとても好きである。

・ 当時の伝染病対策はその根底に感染者や家族をはじめ、民衆の人権を軽視した社会防衛の発想があった。接

 触を避けるために、非常地帯というように特定の場所をつくったりした。特定の看護者が配給したりした。中には

 病院の塀に食物をつるし渡したりもした。

・ 1930年代〜40年代にかけ、第二次世界大戦が始まる前後であるが、抗生物質などの科学療法剤ができて伝

 染病対策が進歩した。伝染病予防法は平成10年に前面改訂された。施行は平成11年4月1日。感染症新法と

 いうのは、正式には、「感染症の予防及び感染症の患者に関する医療に関する法律」。

・ 日本の伝染病に関する考え方が大きく変わる。「隔離」ということから「直る」という考え、直さなければというように

 なる。

・ 伝染病院だったところを見てみますと、かつての隔離病棟が現在では病院のホールや倉庫になっている。

・ 火葬場というのは人間を焼く場である。歴史的に調べてみて、火葬場には大勢の方がついていくべきではないと

 思う。

・ 過去の写真などを見ると火葬場に人はあまり行っていないというのが分かる。

・ 告別式に大勢の方にお別れをした方が良いと思う。火葬場は遺族、家族がそっと送り、最後の厳粛な空間である。

 我々、火葬場を研究する者は謙虚でなければならない。ユートピアの期限。無何有郷。火葬場とは元来、幽玄的

 で静かであることが良いと思う。ユートピアとは“Not Place”“そんなところはない”ということ。

・ “ソウレンミキ”の実証。各地に残存する。

・ 住民の扱い方が問題であるが、専門を仲介するような研究者や住民と業者の摩擦を理論的に研究している人が

 いないのではないか。葬送学をもっと広げた方がよい。

・ 葬送にまつわる経理学がない。お互いが打ち明けない。しかしそういう分野の人を育てることが大切だと思う。

・ “死”というのは、日本も無一物で無縁であった時代に到達していると思っている。そういう考え方になると火葬場

 も大きく変わってくるんではないか。

・ 経済的弱者の環境も知る必要がある。働く場所、住むところなど。

・ 「戦間期」という言葉がよく使われる。第一次世界大戦のベルサイユ講和条約の1119年と満州事変の1931年

 の12年間を火葬場調査においては研究しなければならないと思う。

・ 全国に12箇所ハンセン病の療養所がある。隔離政策を女医である小川正子氏が進めていた。小川氏は伝染病

 なので、火葬してほしい言っていたそうだ。小川正子氏はハンセン病療養所で頑張っていた。そして結核になり、

 「伝染病なので火葬してほしい」と遺言していた。コウフシ スミヨシ 3丁目25番地の一帯で小川正子氏は火葬さ

 れた。

・ 現在の火葬場は地域に根ざした実証的な研究が必要であると思う。

・ シャボン玉の歌で二番が悲しいフレーズで、差別ではないかということで、調べたところ、捨て子の歌であった。

 今は小学校では知られない。

・ 「葬祭論」というようなそういうのを研究していくためには、我々は後継者を育てる必要があるし、組織だった手堅

 い研究的体系を見つけ出さねばならないと思う。

・ 「源無縁(ゲンムエン)」→本来、人は無一文、無縁と云う観点から、死もそういう観点から捉えてもいいんじゃな

 いか。

・ 「原近代(ゲンキンダイ)」→近代になるための原型となったものと云う言葉の意味。ここでは、古いものの中に新

 しいものが流れ込んで、移り変わろうとする兆しが表出した時点。

感 想

大変深刻なテーマを浅香先生独特の歯切れのよさでお話された。ユーモアを交えながらの講義に、これまで先生

が培われた教壇での実績を実感させたれた。都市や社会の歴史から、これまでほとんど省みられることのなかっ

た火葬場の存在を、その時代を踏まえた歴史的な背景から検証をされている先生の視座や行動的な学究活動が、

しみじみと伝わってきた。

事務局報告

野崎さんと三橋さんの話を楽しみにしていてください。

今回の講師内容を総じて、民俗学的概念を踏まえながら捉えていくことが必要である。

火葬場からの人数制限が出されたが、それ以前は町会の人たちが大勢行くこともあった。しかし、世の中の状況と

連動して、火葬場に行く人が少なくなってた。

〜 会場の様子 〜