日本葬送文化学会

日時:平成15年10月25日(土) 午後6時30分より

                                      於:東京文化会館 4F  中会議室No.1

10 月 定 例 会 (講 演)

テーマ「“死”にかかわる衣服をめぐって 〜 死装束と喪服 〜」

                                        講 師 : 中村ひろ子先生

*講師略歴*

1942年生まれ。東京教育大学文学部卒業。神奈川県立博物館学芸員。日本常民文化研究所研究員を経て、現在共立女子大学、東京家政学院大学非常勤講師。文部科学省文化審議会専門委員、文部科学省伝統文化総合支援専門委員。専攻は日本民族学。

*主な業績*

  「女の眼で見る民族学」(高文研 1999)  

  「もの ・ モノ ・ 物の世界 ー 新たな日本文化論」(雄山閣 2001)

  「死者の衣服のフォークロア」(国立歴史民族博物館編 「よそおいの民俗誌」 慶友社 1998)

  「消えたアクセサリー」(松崎憲三編 「人生の装飾法」 筑摩書房 1999)

  「晴着と普段着」(柏木博 他編 「日本人の暮らし」 講談社 2000)

  「喪服の近代」(松平誠 他編 「衣と風俗の100年」 ドメス出版 2003)

 

・ 死者の衣服については死者に「なるため」の衣服から「個人の衣服」へ移りかわり

・ 死者になるあいまいな規定 〜 どうやって確定するか?再生儀礼(魂振り、衣服も振る、水、米)

・ 通夜 〜 生と死の堺界 〜 通夜の場合はまだ死者ではない。まだ着替えさせない。翌日、死者の衣服に着替える。

・ いつ着替えさせるかが、大きな問題。それまでは知らん顔をするしきたり。湯灌、着替えがその境。

・ インドネシアのトラジャ族 〜 着替え前までは、死体と呼ばない。「熱い人」など。

・ 特徴 〜 非日常的な共通点 〜 産着、婚礼。

・ 衣服の色は白、袖なし 〜 えなぎ、(産着の前の着物)と酷似。えなぎと異なる面 〜 早縫い、複数で縫う、縫う人。

・ 縫い方は、はさみを使わない。返し針をしない。特別な縫い方。

・ 着せ方 〜 左前、たて結び、足袋の左右逆。

・ 死の着替えは衣服から、死生観を考える。

・ 死の確定から、衣服を着替える。

・ 旅立ちの姿 〜 いつの時代からは分かりにくい。旅のイメージはこの世からあの世への移行、これが旅である。

・ 持ち物は多様なものがある。銭、食物、日常生活品、匂いのある者など、産石、産毛、へその緒、着物、(ミニュチア)

  産着。

・ 産着とは生まれた子に初めて着せる着物だが、そういう借りてきた衣服を返すという意味ももつ。

・ 川というのは、三途の川でなくても良い、川を越えるということが大切なのだ。川、橋、井戸、便所、他界との結界。生

  と死の循環のイメージが重なり合った。

・ 昭和と平成の変化を調べた。具体的な葬儀を取り上げた。30年を隔ててどのように変わったか。

・ 昭和30年代40年代は自家で仕立てている。52例中、42例。縫う人は親戚の方が多い。死者の身支度を行う。

・ 平成年代は葬儀社や農協や病院での購入が増えているので、伝統的な意識が薄れている。葬儀社がその死者の

  衣服の文化の解説など伝承する。

・ なぜ、葬送儀礼は変わるのに、死装束は変わらないのか。死者の衣服は変わらず今日まで来ている。

・ なぜ、死者の衣服だけだ変わらないのか。前例を変えることを忌み嫌う。死者が見えない。最近は、故人の衣服に白

  装束をただかけるだけ。

・ もっと少数派になると、白装束もいらないという自己主張、個性尊重から「個人の衣服」への変遷。

・ 生前のうちに死装束を決めたり、作ったりする。これからの衣服というのはこのように出てくるので

   あろう。

喪 主 ・ 遺 族 近 親 者 参 列 者
正式の喪服 正式の喪服、なければ略式 縁が遠くなるほど略式
和 ・ 黒紋付に羽織袴
洋 ・ モーニング 略式は黒か紺のダーク・スーツかダブル・スーツ、黒ネクタイ 黒、紺、ダークグレーの地味な背広で黒ネクタイ、平服でも明るい地の場合は喪章
和 ・ 黒羽二重五つ紋に黒の帯 略式は無地三ッ紋で黒、紫系統の地味なもの 略式喪服よりさらに略式の黒一つ紋の羽織
洋 ・ 黒アフタヌーン・ドレス 黒などの地味な色のワンピースかスーツ 黒などのツーピースかワンピース

喪服にみる白、被衣、かぶり物

 

昭和30〜40年代

平成年代

喪主、家族 (男)

喪主、家族 (女)

喪主、家族(男)(女)

北海道 白い着物に黒羽織 黒和服  
青  森 紋服の上にシロという晒の着物 フロシキという晒の風呂敷を被る  
青  森 黒洋礼服にシロという晒を首の後ろに挟む   黒洋礼服に墓に行くときだけシロをつけた
岩  手 地味な服装に白三角布を首にまく   略礼服のみ
宮  城 紋付袴に頭にヒタイカクシという白い三角布(三角帽子) ナミダカクシ、アタマカクシという白い晒で頭を覆い端を口にくわえる 略服にヒタイカクシ、女はナミダカクシ・アタマカクシ、口にくわえない
山  形 紋 付 白い晒を頭にのせる  
山  形 紋付羽織袴に頭に白い三角紙 黒い喪服 黒礼服に頭に白三角紙
群  馬 黒洋服に草履と三角の被り物 江戸褄に三角布を衿に 喪主は黒洋服、家族は三角の布を衿に
神奈川 黒礼服 白い喪服  
山  梨 黒の喪服 黒い着物で野辺送りに手拭を被る、シロモクの人もいた 黒礼服、女は黒和服
長  野 モーニング 着物の衿に四折した晒をかける 喪服の衿に白い布
愛  知 紋付羽織袴 喪主の妻は白無垢、他の女は黒服  
愛  知 喪主は白裃袴、家族親族は黒喪服か礼服 喪主の妻は白着物、家族親族は黒喪服か礼服  
岐  阜 家族親族のうち白衣と指定された者はフワフワという白衣    
富  山 喪主は白装束(白羽織袴)、親族は黒の羽織袴か洋服 喪主妻は白紋付、親族は黒装束 喪主と妻白装束、親族は黒の着物か洋服
石  川 喪主は白、家族は紋付着物、親族は喪服、スーツに喪章 喪主妻は白(戦前はツノカクシ)、親族は紋付着物、親族は紋付 喪主は白着物に袴、家族の男は黒礼服、女は紋付
福  井 喪主は羽織袴に三角マンジ 喪主妻は白い着物を左前に 黒喪服(礼服)にワラジを持つ
三  重 喪主は白晒で縫った着物と袴、額に白三角、杖 紋付黒着物か紋付なしの着物 喪主は白晒着に頭に三角
滋  賀 喪主は白装束 白装束  
大  阪 喪主は白長襦袢に裃(麻)、袖を片方だけ襷がけして頭に三角紙 白着物  
兵  庫 喪主はモーニングに頭に三角、家族は礼服(黒洋服) 喪服(黒着物) 喪主はモーニングに頭に三角、家族は黒洋服、女は黒着物
奈  良 喪主は喪服の上に白い法被    
和歌山 喪主は礼服、家族は礼服か喪服 頭に女は白い布切れ 喪主は礼服に頭に三角の紙
山  口 羽織袴に白扇子    
徳  島 黒洋喪服、位牌棺を持つ役は出棺に白い三角布を頭に    
愛  媛 紋付羽織袴に額に三角紙    
愛  媛 喪主は羽織袴にヒタイボウシ(白い三角のかぶり物) 首にシロと呼ぶ白い布袋 喪主は黒喪服にヒタイボウシ
高  知 喪主も家族も喪服に藺草のアミ笠 喪服に白い布袋 黒背広に男はヒガサ(い草)、女は白布
大  分 羽織袴に三角布 紋付に棉帽子を横向き、忌中髷の人も  
鹿児島 黒洋服に白木棉を四角に切って首に巻く 紋付羽織に白布を髪に 黒い服か喪服に白布を裂いて首に、女紋付白布を髪

(1)記録 記事の中の喪服

全国民事慣例類集・・明治13年
@相続人ハ位牌ヲ捧ゲ男子ハ裃女子ハ被布カツキ(上野国都賀郡)
A近親ノ者ハ白衣ヲ著シ其他ハ礼服ニテ火葬場マデ送リ(越前国足羽郡)
B忌掛リ親族ハ必ズ白衣ヲ着シ葬送スル事(丹後国加佐郡)
C父母ノ喪ニハ五十日ノ間ハ必ズ喪服ヲ着テ笠ヲ被リ毎日墓参(備中国窪屋郡)
D父母夫ノ忌ヲ受ル者戸外ニ出ルトキハ襟或ハ頭ニ白布ヲ巻キ又ハ晴天ト伝ヘトモ傘ヲ開ク(伊勢国度合)
E忌中ハ謹慎シテ戸ヲ出ルトキハ晴天ニテモ必ズ笠ヲ被ル(但馬国出石郡)
新聞記事
@明治十八年・岩崎弥太郎・「東京日々」二月十四日付 「喪主・・・親戚・・・、いずれも黒色の喪服にて」
A明治三十七年・広瀬武夫・「毎日新聞」四月十四日付 「喪主は兄の娘(十三歳)がつとめた。・・・白羽二重の衣服に白綸子の袴をはき」
B明治四十二年・二葉亭四迷・「東京朝日新聞」四日付 「寡婦人と長女せつ子さんは白無垢の姿も淋しう」
C明治四十二年・伊藤博文・「東京毎日」十一月五日付 「忌中の束髪に黒羽二重の喪服を着た未亡人」

   「国葬で一般会葬者の服装心得は厳重で、『必ず燕尾服を着用』と決められ、羽織袴の服装で入場を拒絶された地方の町長、助役などが続出    した。燕尾服、大礼服の会葬者が国内を埋めている。」

D明治四十五年・石川啄木・「東京朝日新聞」四月十六日付 「白衣の未亡人は」
E明治四十四年・漱石の娘・漱石の十二月二日の「日記」 「妻は黒の繻子帯に黒紋付」
F大正五年・夏目漱石・「時事新報」十二月十三日付 「四人の令嬢白無垢にて」

(2)作法 礼法の中の喪服

作法書にみる喪服
@「会葬をなす者の服装は男子はフロックコート其他の礼服を着し、女子は黒色の紋付に白無垢を重ね、黒き帯を〆むるが礼であります」(日本礼節会 『新選日本諸礼式大会』1921年)
A「会葬者は無論礼服で女子は可成黒色紋付に白無垢を重ねて黒色の帯をなして会葬するのが礼」(熊谷正雄『日本礼道小笠原流筆記録』1929年)
B「フロックコートは葬式、昼食の招待、訪問に着用するが、近頃はすたれてモーニングコートが流行している」(春山作樹『交際の常識』三省堂、1933年)
C「会葬者の心得〜会葬者の服装は男は紋付に袴、またはフロックコート、モーニングコート、ワイシャツは白、襟飾は黒、黒靴、婦人は白襟、紋服(裾に模様のないもの)を着用すべきである」 『現代礼儀作法』(1934年)
修身教育の中の喪服
@「親戚又は知人の家に不幸ありたる時、会葬する場合には相当の礼服を着用するのが通例であるけれども若し礼服をもたない場合には成るべく華美な服装をしない」とした上で凶事の礼服として「洋服の場合は裃とも黒無地を用い襟飾は黒」「和服の場合は黒紋付羽織角帯袴着用白足袋〜女子は白襟紋付無地の帯」「学生は学校の制服制帽を用いて宜い」(相島亀三郎『作法新教授書〜文部省要項準拠修身教科書配当』1913年)

・ 喪服とは穢れた者が着る衣服である(家族、親族だけ、それ以外は着ない)。あるいは穢れていない人との識別。内

   面と外に向けて発言。

・ @カツギ、かぶりもの。花嫁の打ち掛け状。(かぶるというのは喪服の一番の原点、かぶりもので頭をすっぽりかぶる。

  つまり、こもって中に入っている状態を示す。また、穢れている者と穢れていない者との差別化。)

  オカザキ。 A白という色。(特別な色)白無垢、シロモン、布、紙を着ける。 Bハレ着の共用。非日常の着物、花

  嫁衣裳、婚礼衣装を流用、共用する。かぶりものもあわせて。

・ かぶることに喪服の原点があるのではないか。

・ 通夜では喪服は着ない風習の根拠は、はっきりした死に対して着る物で通夜では死が確定していないから。

・ 行動上でもある一定期間は喪に入るが、衣服上でその識別をする。その意味でも目で見えますので、効果的である。 

・ 塩月弥栄子先生の書いた「冠婚葬祭入門」がある。穢れ感覚が消滅して、マナー化が進んだ。

・ 調査地域により、白を身に付ける伝承がかなり現存している。変化 〜 混然とした時期を経た。

・ 「白、カツギ、かぶりもの、ハレ儀」 → → → → → 「黒か白」 → → → → 「黒」

  という移り変わりがある。和から洋へ。

・ ある程度、穢れがなくなるまでは喪服は着なければならない。

・ 変わるものというのは地域によって違うので、調査するのが難しい。

・ 断片ではあるが、新聞記事から、都市における有名人の葬儀において浸透し始めた。作法書から、黒の「礼服」を着

  ることがマナー(大正から昭和初期)。修身から、教育を通じて浸透した。

・ 白から黒へ移り変わりは、有名人の葬儀を見れば分かるように、いろいろなズレを生じながら、黒に

   移ってきた。

・ 黒の礼服(洋服)を着るというのが正しいことの心得とする。それが、一般的に普及。会葬者も「喪」礼服を着なけれ

  ばならないようになる。一方で、地方ではまだまだ白のカブリモノをしているので、二つの世界(新・旧)が混然する。

  嫁入り先(地方)によって白か黒か違うので、嫁ぐ時に困惑する場合もある。

・ 古い形と新しい形が入り混じっていた喪服の状態時期が結構続いたのではないか。

・ 白と黒に関して、伝統的な文化を選ぶのか新しい文化を選ぶのか。和服の白はマナー違反が文明意識となる。

・ 偉い方が礼服を着ているので、メディアなどで流れ、礼服が正しいという観念がついたのではないか。また国葬で行

  われた形が正しいやり方であるというように考えた。

・ 礼服とは公の公式のハレ着である。ですから、喪服だけではないのは、ご承知の通りである。

・ 昭和に男性が白を着ているのは圧倒的に少ない。男から変わるのは例を見ても多いのが分かる。洋服の浸透は男

   からで、女性は和服の時代が今でも続く。

・ 平成になると、和服より洋服の割合が多くなった。しかし、地方によっては、まだまだ白を着るところもある。

・ 回りの目が気になり、同じように合わせるので、自分だけは白を着るだとか黒を着るという自分だけの判断はしない。

  その辺に関しては、葬祭業者に聞いてもはっきりとは応えないと思う。

・ 喪服は目に見える事例だから、政策や風潮により変化しやすい。流行、ファッション、社会インフラ(大量生産、貸

   衣装、商品 として普及)

・ 黒の略礼服を貸衣装屋さんが貸し出すようになった。より多く貸し出さないと商売にならないということで、普及しはじ

   めた。そのことで、より定着した。

〜質疑応答〜

24時間たたないと火葬はできないという法律があるが、それは死者を確認する時間ということだと思う。そして、衣服は納棺するときに着替えなどをする。

結婚式には黒服に白のネクタイをする。そこで、白というのは花嫁の白無垢に準じ、穢れてないと考えたが、葬式の中では黒いネクタイというところがよく分からない。

先生 : よく分かりませんが、現代的な発想でやはり区別するということからではないでしょうか。

死者を穢れているというのはどうしても分からない。

先生 : 同じ穢れるでも私は、全然違う論理で話しているので。

通過儀礼で海外でも共通するのか。

先生 : 勿論共通の部分はある。日本の社会にも適合する。

仏教的な影響はおおいにある。葬送儀礼の解釈として、考えている。

先生 : 仏教的な影響は大きいが宗教とは違う民俗的な文化が流れているのであろう。民俗的な伝承をベースに強固      な習俗観がある。

天野会長より帷子について

最近の考え方は、帷子も様変わりをしている。白だけではなく、紺、グレー、薄いピンク色など5種類ほどある。今は中国製品が多くなってきた。100%のうち85%は中国製品になってきた。素材はポリエステル。なかなかピンク色などに染めるのは難しく、業者は悩んでいる。手甲などの仏衣なども、同じピンク色で出来ている。

数珠というのは昭和25年くらいは、土を固めて漆で固めた。その次、柳の木を使う。その次は線香の粉を使った。大きいのや小さいのもあった。今は、プラスティックである。

会報委員会より

会報6号を無事完成しました。何かございましたら、事務局を通してご連絡下さい。

事務局より

会報6号は、法人会員2冊、その他の会員は1冊配布します。また、対外的に配布したい方は、実費にて頒布しますので、必要冊数をお申し出下さい。1冊500円にて、お渡し致します。

11月の野外研修「韓国 済州島の葬送文化を訪ねて」に参加される方は、どうぞお申し込み下さい。ただいま登録の方は天野氏、荒木氏、浅井氏、田中のり子氏、杉浦氏、杉山氏、松江氏、小野氏、中島氏、大杉氏、二村氏、小林氏、その他2名くらいの希望者があります。

利用航空会社・・大韓航空(KE)   利用ホテル・・済州島グランドホテル

期間・・2003年11月28日〜30日

参加費用はお一人・・85.000円(ツイン)です。(諸経費は別) 一人部屋希望はプラス24.000円です。

現地参加者は・・・・・ 50.000円です。

【 定 例 会 の 会 場 様 子 】

           

           中村ひろ子先生

           

 

         

 

        

           天野会長