日本葬送文化学会 8月懇談会

モンゴル葬送文化視察報告 モンゴル葬儀の衣食住について

日時 平成15年8月27日 水曜日 午後6時30分〜8時30分
場所 (財)東京都歴史文化財団 東京文化会館 4階 中会議室2


◆概要

8月6日〜11日まで当学会有志数名によるモンゴルへの葬送文化視察が
行われました。今回はその報告を聞きます。


◆行程

8/6(水) 成田−ウランバートル
19時着

8/7(木) ウランバートル
午前:市内観光。全体を一望できるザイサン丘へ。スフバートル広場。
国立自然史博物館。モンゴル・ラマ仏教の中心地ガンダン寺。
葬式に関しての伝承を住職から聞く。
午後:「BUYAN」国営葬儀社見学。検死所・死体公示所「モルグ」

8/8(金) ウランバートル
午前:墓地視察。ロシア人墓地/「アルタンウルギー」
(モンゴル人の国家貢献者の墓)/「ダラン・ダブハル」
(モンゴル人の庶民のお墓)
午後:ダムバ・ダルジャー日本人墓地。
ゴビ・ショップ等 
夕刻:民族歌舞団のコンサート

8/9(土) ウランバートル/ナライハ市/テレルジ
午前:モンゴル国立大学民俗学者による講義(モンゴルの葬式など)
チョイジンラマ廟見学。
午後:テレルジ。途中ナラハイ市付近のモンゴル人とカザフ人の墓。
トルコ時代の人石など。・・・民族ゲルに宿泊。


8/10(日) テレルジ/ウランバートル
午前:モンゴル人の住まいを訪問。大自然の乗馬にて散策。
午後:デパートで買物。ザハなどフリーマーケット自由散策。

8/11(月) ウランバートル−成田
16時着。解散。

◆参加者

杉山昌司 氏
松江英寿 氏
和田恵輔 氏
高橋美江 さん
小林寛子 さん
二村祐輔 氏
二村文徳 氏


◆報告

二村氏

本日はモンゴルで撮ってきた100枚の写真を見ながら説明します。

モンゴルはかつて共産圏であり、旧ソビエトの影響が強い。
モンゴル系、トルコ系、多少の中国系など多民族である。

遊牧民主体の国、人口密度に低い中でのいろいろな文化伝承を見ることが出来た。
宗教的には、ラマ教だが仏教の古い部分での伝承がなされている。
習俗的には、かつての日本に通じるところが多い。かつて日本にもあった
三廻る儀式とか、四十九日へのこだわりなどが色濃く残っていた。

国営の葬儀社を見学。国営テレビが取材に来て、当日のニュースで
私たちの学会が紹介されました。
葬儀は黒と赤が基調で、これはラマ教の作法にのっとるものです。
葬儀では前世の死因も発表される。国営葬儀社の庭には、棺と墓石が積まれていた。
遺体公示所は、がんセンターの一角にある。そこで検死室を見学した。
祭壇設営やご遺体の安置は、北東を背にするのが作法です。

ロシア人の墓地も多数あり、特徴は墓ごとに柵があり、
ロシア正教の十字が掲げられている。ほとんどの墓石に炎の文様がつけられている。
炎は天に昇っていくことが由来らしい。月曜、水曜、金曜しか埋葬してはいけない。

日本人が合葬されている、満蒙開拓団など、当地で亡くなった邦人800人分の
霊を祀っている。二村文徳氏により読経を奉げた。
ここには遺骨はない。すべて日本へ持ち帰られた。これは記念碑のみ。

モンゴルは現在、ラマ教中心の社会になった。ラマ教寺院の地獄絵図がとても印象的。
ラマ教の影響を受ける前のモンゴル人の死生観は、日常の延長線上に死があると
考えていた。また、死を人に見せない習俗があった。

トルコ系の墓を見学。ジンギスカンの前の時代のトルコ帝国の遺跡がある。
石碑には細かい文字がぎっしりと刻まれている。


和田氏
国営葬儀社の人が宮型の霊柩車が欲しいと言っていた。
一番低価格の葬儀は墓石つき150ドル。
高価なのは、写真つき600ドル。
僧侶は3000人しかいない。これは、ロシアの宗教弾圧による。
民主化後は坊さん中心の葬儀となった。現在僧侶養成中。
モンゴルの葬儀は4万年前までさかのぼれる。屈葬時代が長いらしい。

高橋さん
公示所の女医さんは派手だった。
墓石に、モンゴルブラックという種類があるが、
その語源とモンゴルとの関係を知りたい。
多くの写真を撮ってくださり皆で閲覧。

杉山氏
郊外が貧民窟のようになっている。衛生面も心配。
その横に墓地があり、どうやら、盗掘されているようだ。
町の中は整備されているのだがアンバランスだ。

二村氏
昔の日本との共通点が多い。
納棺後、埋葬地まで辻ごとに小麦を撒く習慣がある。
橋の欄干に青布を巻く習慣もある。
こんな儀式が残っている。埋葬地に着くと男女別に分かれて個人の経歴を
述べるのを聞く。男は棺から見て右側、女は左側からである。
日本にも男女分かれて参列する例がある。
墓の周りを右回りに3回廻る儀式がある。日本もかつてはやっていた。
三年間墓参りしない大切なしきたりがある。
一つの仮説として今まで墓の場所を明らかにせず、そこに立ち入らないようにした
秘密保持の習慣から、ラマ教導入の影響で、死者を大切にし、四十九日を意識する
ように変化していった。そこで、四十九日まではラマ教式でその後三年は昔ながらの
考え方にのっとったしきたりのようだ。
また墓に行かず、寺へお参りに行くようになっているようだ。

◆お知らせ

なお、モンゴル訪問の第二弾は来年8月17日以降、5泊6日の旅を予定しています。
モンゴル国立大学民俗学教授の案内で「ゴビ砂漠の風葬」を会員有志で見学したいと
思います。希望者は今から受付けいたします。