8月 日本葬送文化学会 懇談会 日時 : 平成14年8月27日 18時〜 於 : 千代田区中小企業センター503号 会議室 参加人数 : 34名 |
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テーマ「孤独死の態様」
講師:黒澤 淑子(よしこ)氏 任意後見・生前契約受託機関 NPOりすシステム 葬儀アドバイザー 生前契約スーパーバイザー ⇒「りすシステム」の立ち上げ時から10年近く、生前契約 のアドバイザーとして関わっている。 |
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いつもの万世会館とは異なる始めての会場で、参集に戸惑った会員もいたが、会議室一杯の盛況であった。 今期、4月を皮切りに定例会では八木澤先生の講演、「現代霊安室考」において人の死の直後、遺体を安置する場所の多くが、実は自宅ではなく病院の霊安室がその役割を果たしていること実務施設構造として学んだ。5月懇談会では「病院と葬祭企業」と云うパネルディスカッションを通じて、その運用や実務的な葬送儀礼への出発点を検証し、関連の企業がどのような位置づけで役割を果たしているのかを実務者と懇談した。6月定例会は大阪へ赴き「病院における死の看取り・その問題点と葬送儀礼へのアプローチ」をテーマに、谷先生が医師の立場から、死に至るまでの『看取り』を講演され、特にホスピスなど死に直結した施設での実務経験を踏まえて、いろいろなケース、データを交えて拝聴した。7月懇談会は、由緒ある神田明神の資料館を見学した後、会食懇談会と云うことで、『現代死に場所考』というテーマの元、死に場所に関する日本人の観念的な位置づけや、民俗や宗教の影響を踏まえ自由闊達な意見交換をした。 「病院における死」の年間テーマから、死にまつわるハード志向・ソフト志向を交互に撚り併せていく中で、今回は社会問題化しているいわゆる『孤独死』と云うものの現状やそこにおけるいろいろな『態様』を検証して、社会における葬送環境の激変が私たちにもたらしたものを論じていただき、そこに時代の文化としての葬送の在り方を改めて考えるきっかけとなった。そこで、最初に黒澤氏が投げかけられたのは、いわゆる『孤独死』の定義である。 『孤独死』とは何か? これは高齢者が単身で居住をして、そこで死亡すると云う事例だけを持ってこれを孤独死というには、あまりに安易な受け止め方ではないのかと言う提言である。私たちはおおむねそのようなイメージを描いて、いわゆる恵まれない老人が身よりもなく、ひとり寂しく死んでいく姿を、現代社会の一面として思い浮かべていただけで、実務的にはまったくの孤独と言うのは極めて少ないと言うことだ。 この実務的という部分が、まさに黒澤氏の所属されているNPOりすシステムおよび日本生前契約等決済機構の機能されている部分で、そう云う観点から見ると孤独と言うのはあくまでも主観的、意識的な問題で、 あえて身内とのかかわりを持ちたくないなど、それぞれの個人の心の発動から起因する。 つまり一人暮らしは孤独なのかと言う問題は、心的な面と社会的な位置付けとの両面から検証することが必要だ。ホームのような手段生活をしているところでさえ、孤独を感じる人がいるように心情的にそう思っている人に対しては、その本人の意識、意思を最大限に尊重して実務的な対処を行なっている。 そのために「家族・家系主義」を中心としている行政が最大の障壁となって、活動の抵抗となっている部分が報告された。 第三者機関が、死すべき本人に成り代わって、事前にいろいろな手立てを講じること、特に葬儀費用の準備やそのための銀行などとの折衝においては、たいへん苦労されている。 このための公正証書作成などが実務的アドバイスの中心になっているとのことであった。 この点について、当学会代表理事の浅香氏より 「生前から一連の公的な書式作りをしていくためには、それぞれの専門化が必要で、これに対して各職域からの軋轢みたいなものはないのですか?」と云う質問に、 黒澤氏は 「やはり、行政そのものがなかなか融通が利かなくて困る。」と云うお答えであった。 東京都豊島区巣鴨にある「すがも平和霊苑もやいの碑」(合祀墓)を実務的な最終の受け皿として、事前の病、そして介護、老化、ボケ等々いわゆる生前の『生』の部分の不安とその後の葬儀、埋葬などを踏まえて、機構そのものが後見人としてこれらの任意権、代理権を行使して本人意思の実現をとりはかっている活動のなかから、究極のアドバイスとして、「死の状況は予測が不可能、いろいろなケースからいろいろな実務が発生する。だから、今現在、自分自身で把握できること、自分自身がしてもらいたいことだけを考えておくこと。」 このようなご提言を元に講義を終了した。
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