日本葬送文化学会 7月懇談会
神田神社「斎館」見学 懇談会 テーマ「現代 死に場所考」

神田神社 社殿

資料館案内

斎館内の様子

斎館の外観

明神会館

天野会長

写真奥より、清水さん、松本さん

懇談会の様子


平成14年7月24日 場所 明神会館(神田神社内)
東京都千代田区外神田2−16−2

神田明神オフィシャルホームページ
http://home.interlink.or.jp/~kanda-m/main.html

解説講師 神田神社権禰宜 清水祥彦 氏


(二村)本日は、見学および、案内をしていただきましてありがとうございました。
神道での葬儀の特色についてお聞かせください。
(清水)葬儀はすべてお祭りと呼んでもかまわない。
江戸時代の用語と明治以降の用語が入り混じり、矛盾が多い。
明治維新の時に神社が大幅に見直しされ、弾圧もあった。

(天野)昭和24年に宮中に舟形の棺を納品したことがある。
(清水)船を使い川や海を渡るつまり、神霊を渡すという儀礼のルーツは非常に古い。
(天野)神社への謝礼はなんと書くべきなのか。
(清水)神社への金封の表書きはすべて御礼でよい。

(二村)葬儀式場の清めというのは、遺体の穢れを封じこめるという意味ですか?
(清水)そのとおりです。
(清水)死は穢れと考える。身内に死者が出た場合、神官の身内までも境内つまり家から追い出すことがあった。とはいえ、古墳の上にある神社もいくつかある。大宰府天満宮は菅原道真の墓の上に神社がある。この神田明神も大手町の将門の首塚が由来である。平安以降急速に穢れが意識された。平安以前、古くはそれほど意識されていなかったようだ。
(松本)日蓮宗の修行をしている。本尊の後ろに世界が見えた。
死は穢れではなくケであると思われている。(ハレとケ)死とは、存在する次元が変わるという意味である。仏教の基本的な考えといえる。ところが自分(松本)はそうとは考えていない。日本人古来の考え方ではやはり、穢れと考えているのだろう。




(二村)病院で亡くなるということについて。自分はどこで死にたいか。
(松本)人にも魂があるように、言葉には魂がある。
死んだ場所に、人は念を残す。畳の上で死にたいというのは、自分の生活したところで死にたいという願望があるからだと思う。
(清水)お祓いするのは、魂ではなく、その場所に残った念である。
(杉山)病院で死ぬというのは、何が何でも生きてやるということ。生に対する執着がありすぎではないか。
(小谷)78%が病院(特養、および医療保険でまかなえる機関を含む)で、14%が自宅である。高齢者が今以上増えると、ベッド不足から末期患者は、自宅に帰らざるを得なくなる。望まなくても自宅で亡くなるケースが増えてくると予想されている。

(天野)昔は、死ぬための建物があったのではないか。
(松本・清水)喪屋、霊屋、御霊屋(もや、たまや、みたまや)
おこもりする場所のことである。
生理中の女性が入る場所でもある。
仏教国日本では、阿弥陀堂、観音堂にそれがとって変わられた。

(天野)遺体は誰が遺したのか。魂が肉体から離れて遺したものなのか。
現世と書いてウツシヨと読む。これは、仮の世界という意味である。
本当の世界は魂、つまり精神的実体のことである。
肉体とは、魂の洋服に過ぎない。
(清水)神社では、百人百様の死生観があり、統一見解はない。




(二村)習俗が割愛され、形骸化されていった。
(勝山)臨終の場所や、仮通夜の場所には僧侶は同席しなくなった。
(若月)枕経などすべて儀式には意味があるのでちゃんとやるべき。

(野崎)知人の住職は、厳しく精進料理を守らせている。
(松本)葬儀後の精進料理について。お釈迦様も肉食を認めていた。
DNA的には動物も植物も同じはず。生ものを食うことにこだわるな。
修行中に肉、ニンニク、ニラを食べないのは、精がついて修行の邪魔になるからだ。
それが転じて葬儀で生ものを食べるなになったのだ。


(敬称略。編集のため、発言順序を一部入れ替えてあります。勝山)

左の写真をクリックすると拡大されます。

 

インターネットで紹介された神田明神

神田明神の歴史
http://www.ne.jp/asahi/pcgnet/home/jinja.htm

神田明神の史跡
http://member.nifty.ne.jp/mizunotec/zyousou/kanda.htm

神田明神の写真
http://www.cnet-ta.ne.jp/p/pddlib/photo/kandamyojin/index.htm

以上