日本葬送文化学会 2002年6月定例会

テーマ
「病院における死の看取り・その問題点と葬送儀礼へのアプローチ」
ホテル新大阪「琥珀の間」 平成14年6月27日

  谷先生と司会の二村事務局長

  NPO華影より5名参加

  手前が圓照寺 前住職 並木清さん
林山クリニック名誉院長
谷 荘吉 先生

・はじめに
・病院死の現状
・死亡統計
・死を看取ることの重要性
・デスエデュケーション
・別れの美学

第一部・講演

出口さんとの出会いがスタートで、
それ以来ご縁があります
葬送文化研究会時代にお招きいただいたこともあります

死を看取ることの重要性がよく言われています
上智大学の「生と死を考える会」の顧問をしています
死亡の動向、在宅死の現実より検証します(資料配布)

介護老人ホームは美点もあるが恥部もある
林山クリニックを任されておりその実例を紹介します(資料配布)

東大の医科学研究所にいたとき、10年先輩の医者の言葉
病院の廊下で末期癌の夫を持つ女性に対し、
「奥さん何言っている。一人の命は大切なんだ
絶対に殺してくれなんか言うな」
すぐ横で聞いてしまいショックを受けた
かつては医者は威張って、生死の主導権をもっていた
今ではこんな光景は見られないはず

「患者よガンと闘うな」で有名な近藤 誠 先生もよく知っているが、
色々の考え方があるのも事実である

インターネットにはありとあらゆる情報がある
(いくつかの検索結果とウェブサイトのコピーが回覧された)
デスウォッチングという雑誌があり、その原型となる研究会がある
死の総合研究所というのもある

葬儀設計について
http://www.sousai.com/hp/institut/sekkei/sekkei3.htm
様々な死についての記述
http://www.osoushiki-plaza.com/institut/institut-menu.html

死体を遺体と呼ぶところから文化がはじまる
死体が遺体となる瞬間はいつか
人に看取られ愛情を注がれることで死体は遺体となる

第2部・討論

「谷先生」
死亡後の体液漏洩を防ぐために
割り箸に脱脂綿をつけ、体の穴という穴に突っ込む
それを見た遺族が遺体の尊厳の冒涜と病院を訴えでた
看護学会も反省し、いまではこのような扱いはしていないはず

「横前さん」
飯田の田宮先生は死の臨床研究会のメンバー
看護士に納棺体験をさせている

「谷先生」
墓石を残すのは大事だと思う
患者さんに頼まれて墓石の字を書いた経験が4回ある
四国愛媛やはた山が故郷である
10何代前までさかのぼれる
菩提寺にはすべての位牌が残っている
自分自身(谷先生)はクリスチャンである
曽祖父がランエンと言う号を持つ書家であり、漢方医である
墓の前に立つと祖先の霊を感じることができる
墓石が一番とは言わないが、具象のものがあることはよいことだと思う

「谷先生」
葬儀式場のプロスタッフはマナー教育のやりすぎ、
過ぎたるは及ばざるがごとし
サービスをすればするほど癒されるというわけではないだろう
自然体を望む

「杉山さん」
梅原猛の中学生向けの「宗教」という本がある
宗教は生きるために必要と考えるようになった
斎場なんて雨露をしのぐだけのもので、葬儀全体におけるウエイトが大きいわけが無い
心というものを大切にするべき
日常生活とピカピカの斎場とのギャップが広すぎるのではないか

「浄土真宗 圓照寺 前住職 並木清さま」(島根県松江市)
死を忌み嫌ったり、塩をまくのはいかがなものかか
真宗では、塩を使っては困るとはっきり言っている
喪中という言葉も使わせない
四十九日は中陰法要という
親鸞上人は加茂川に遺体を流し、魚のえさにしろと言葉を遺した
わたしは信徒さんに葬儀や墓にこだわるなと指導している

「NPO華影より5名参加」(大阪市中央区)
鈴木喜代美さんが統括
息子さんを葬儀社に出し勉強させている
NPOという営利でないなかで葬儀のアドバイスをしている
平成14年4月1日発足

「若くして父親を失った女子学生の言葉」(天野会長紹介)
葬儀とは参加するもの、業者仕立てのベルトコンベアはいや
参列者はあたかも信仰がありそうなふりをしている
実家でも仏壇には毎朝手を合わすが、すこしでも離れると
宗教心はまったくなし

「谷先生」
葬儀から、生き方へ、フィードバックせよ
今の葬儀の現状を、寺、業者、喪家、皆考えなおすべきだ

(まとめるために、発言順序の入れ替えがあります。勝山)